「でねえ、氷河ってば、フランダースの犬を観て大泣きしてるの。僕が恥ずかしくなるくらい。やっぱ、感情が表に出やすいのって、わかりやすくて安心するよね」 自分の腕の中にいる金髪の生き物の身体を撫でながら、瞬は嬉しそうに そう言った。 瞬の腕の中にいるものが、瞬の心がここにないことを敏感に察知したのか、くぅんと心細げな声を洩らす。 その声で、自分ばかりが幸福でいることに少々罪悪感を感じた瞬は、彼にすまなそうな顔を向けた。 「ごめんね。惚れ薬は手に入らなかったんだ。僕がどんなに頑張っても紫龍は泣いてくれないし、氷河の涙じゃ僕にしか効かないと思うし――」 瞬が今いるのは、城戸邸の近所にある某一般人の家。 公園で知り合った犬の飼い主の家の庭である。 半月ほど前、惚れ惚れするほど美しいゴールデン・レトリバーと仲良くなった瞬は、彼に触らせてもらう許可を得て、時折彼のいる家に遊びに来るようになっていたのだ。 瞬が惚れ薬を求めていたのは、実は、氷河に飲ませるためではなく、意中の彼女(もちろん犬である)に振られてばかりいる この犬のためだった。 氷河の告白は、瞬にしてみれば、棚からぼたもち、勿怪の幸い、突然降って湧いたような幸運だったのである。 「チャンスの神様っていうのは、前髪だけがあって、頭の後ろには髪がないんだって。だから、通り過ぎてから捕まえようとしても、手がすべっちゃうんだって」 人が幸福になるためには、チャンスが巡ってきた時に 間違いなく それを掴む判断力と決断力が必要である。 そして、瞬は、それをした。 氷河の勘違いを知らされた時に、その誤解を解かないという判断を即座に行なって、瞬はチャンスの神の前髪を掴んだのである。 馬鹿正直に“本当のこと”を告白して、せっかく掴んだ幸運を手放すようなことを、もちろん瞬は永遠にするつもりはなかった。 「君はこんなに綺麗だし、彼女が大好きなんだし、きっといつかチャンスは巡ってくるよ。大事なのは、そのチャンスを見逃さず、しっかり自分のものにするために、日々の注意を怠らないことなんだ。いつ その時が来るのかは、誰にもわからないんだからね」 幸運は、確かに、ある日突然天から降ってくるものだが、それを我が手に掴み取るには、やはり技量と才覚が必要である。 『運も実力のうち』とは、そういうことなのだ。 チャンスの神の前髪を掴み取るための技量と才覚を その身に備えたアンドロメダ座の聖闘士は、未だ幸福未満の大型犬を抱きしめて、自分の思い通りに動き始めた世界の中心で、にっこりと微笑んだのだった。 Fin.
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