翌朝、瞬が目覚めると、隣りに氷河の姿はなかった。 氷河は、自分の部屋のドアを出て仲間たちの許に向かうために、一度自室に戻ったものらしい。 一輝が城戸邸に滞在中の氷河は、いつもそうしていた。 それも、今にして思うと、決して照れのせいなどではなかったのだろう。 いつもと同じように優しく情熱的だった昨夜の氷河の愛撫を思い出すと、いつもと違う氷河の行動が、瞬の気持ちを重く沈ませた。 瞬は、これまで通りに振舞えばいいのか、昨日までと違う自分になるべきなのかを迷いながら、身仕舞いを整えて自室を出、階下に向かった。 意を決してダイニングルームのドアを開けた瞬を出迎えたものは、しかし、氷河の視線でもなければ兄の言葉でもなく――星矢のすがるような眼差しだったのである。 「瞬ー。これはいったいどーゆーことだよー!」 「星矢?」 「俺も、さっきから幻魔拳を食らい続けてる気分だ」 「紫龍まで、いったいどうしたの」 星矢のオーバーアクションは、それこそいつものことだが、その元になる感情が怒りでも喜びでもないのは珍しい。 更に、いつもは“ 兄と氷河がまた何かしでかしたのかと、瞬は不安になったのだが、あの二人が何事かをしでかしたとしても、今更 多少のことで動じる星矢たちではないはずだった。――瞬は、そう思った。 が、実際は――やはり問題の二人が、星矢たちを恐慌に陥れていたのである。 「俺と紫龍、今日は早目に起きて、ここに来てたんだよ。で、そこに一輝が来て、氷河が来て、さあ またいつもの陰険漫才が始まるぞーって期待したわけさ。なのに、あの二人、なごやか〜に朝の挨拶なんかしてくれちゃってさ」 『おはよう、氷河』 『おはよう、一輝』 と朝の挨拶を交し合う二人を見て、星矢は背筋が凍りついたのだそうだった。 当事者が問題の二人でなければ、それはどこの家庭でも見られる ごく普通の朝の風景である。 そんなことで背筋を凍りつかせてなどほしくないと瞬は思ったのだが、現実にそれを見せられてしまうと、瞬もなかなか冷静ではいられなかったのである。 いつもなら10人掛けのダイニングテーブルの端と端に嫌味たらしく陣取る二人が、今朝は向かい合った席に腰をおろしていた。 特に会話が弾んでいるわけではなく、二人は特に嬉しそうにも楽しそうにもしてはいなかったのだが、しばらくすると、一輝のコーヒーカップが空になっていることに気付いたらしい氷河が、一輝に、 「コーヒーのおかわりはどうだ」 と尋ね、一輝は、 「もらおう」 と答えた。 一輝は『もらおう』とだけ答えたのである。 いつもなら、『一緒に毒でも入れてくれるのか』くらいのことは言うはずの一輝が。 否、そもそも氷河が一輝にコーヒーのおかわりを勧めること自体が既に、昨日までの氷河なら“決してしないこと”だった。 そんなふうな、ごくありふれた日常の一コマに異様なまでの動揺を覚えている自分をたしなめて、瞬は恐る恐る兄と氷河に声をかけてみたのである。 「お……おはようございます、兄さん。あの……氷河、おはよう」 「ああ」 「いい天気だな」 二人からは、やはり、ごくありふれた反応が返ってきた。 氷河が昨夜を瞬の部屋で過ごしたことに気付いていないはずのない一輝が 不機嫌の色を見せず、氷河は氷河で自身の優越を一輝に誇示しようとしない。 それは、世間一般的には ごくありふれた反応だったろうが、城戸邸的には青天の霹靂と言っていいほどの大異変だった。 穏やかで和やかな兄と氷河の様子に 戸惑わなかったといえば嘘になるが、それは、瞬にとっては、夢に見た光景でもあった。 『信じて貫く』どころか、『望むことさえ諦めていた』夢が、突然叶ってしまったのである。 「きっと、お星様が僕の願いを叶えてくれたんだ……」 夢の実現をもたらした原因に、瞬はそれ以外の心当たりがなかった。 「お星サマぁ !? 」 この異常事態を“お星様の厚意”で片付けようとしている瞬に、星矢は目一杯呆れ、そして がりがりと頭を掻いた。 |