30絡みの男性が瞬を尋ねて城戸邸にやってきたのは、それから数日が過ぎた日の午後のことだった。
彼の配偶者がグラード総合病院に勤めている看護士で、彼女は例の噂話から問題の霊能者が誰なのか察しがついてしまったらしい。
「妻は決して守秘義務に反することをしたわけではなく、あなたのお名前もこちらの住所も、私が独力で調べました」
客間に通されると、彼はまず最初に瞬にそう告げた。
それから彼は、突然の訪問客に戸惑う瞬に向かって、彼の後悔を語り始めたのである。

彼は、彼が中学1年生だった時、些細なことが原因で母親と喧嘩をしたのだそうだった。
母親に悪態をつき、最後に母親に向かって「大嫌いだ」と怒鳴りつけ、腹を立てながら学校に向かった。
「その日、母は交通事故で亡くなりました。仕事帰りに夕食の買い物を済ませて――遅くなっていたので、慌てていたらしい。車を運転していた人も注意が足りなかったでしょうが、母も信号が赤に変わったことに気付かずに横断ほどを渡っていたのだそうです」
今朝散々悪態をついて出ていった息子の好物を作るための材料が事故現場には散らばっていたと、彼は、あとで父親に知らされたのだそうだった。
彼自身は母親と顔を合わせるのが気まずくて、事故が起きた時刻にはまだ帰宅もしていなかったというのに。

「綺麗事を言うつもりはありません。当時は死ぬほど後悔したが、やがて私も大人になり、母のことを思い出すのは彼岸の時期くらいのことになっていました。だが、君の話を聞いて居ても立ってもいられなくなった。我ながら馬鹿げたことをしていると思うし、今でも半信半疑です。ただ――」
確かに、常識的な判断力を持っている人間なら、こんなことは考えもせず、得体の知れない霊能力者などにすがろうなどとはしないだろう。
それがわかっているのに――自分のしていることは“真っ当でない”とわかっているのに――人に藁にもすがる思いの行動を為さしめるもの。
それを愛と呼ぶのか悔いと呼ぶのか、瞬にはわからなかった。
瞬にそんなことを求めてくる当の本人にも、真実はわかっていないに違いない。

「もし本当にそうすることが可能なのなら、私は母に謝りたいんです。あの時、大嫌いなんて言ったのは嘘だったんだと、本当は大好きだったんだと伝えたい。お願いします……!」
そして、それが亡くなった者の心を慰めることを目的としたことなのか、あるいは、生きている者が――生き残ってしまった者が――これからの人生を生きていくために必要だから求める行為なのかということも、その行為を望む本人にはわかっていないようだった。
それ・・を求めることが、もし生きている者の自己満足に過ぎなくても、その心を誰に責めることができるだろうと、瞬は思ったのである。
その心を是とするか非とするかは、人によって判断の分かれるところであろうが、その心を理解できない人間は この世に存在しないだろう――と。

心情的には、瞬は彼の願いを叶えてやりたいと思っていた。
もちろん、理性では、それはしてはならないことだと わかっていたし、もうそんなことはしないと、氷河に約束した手前もある。
だが、大の大人に涙ながらに頭を下げられてしまっては、瞬としても邪険に彼を追い返してしまうことができなかったのである。
だから、隣りに座って沈黙を守っている氷河の表情を窺いながら、瞬は極めて控えめな声で彼に告げたのだった。
「あの……考えさせてください。あなたをお母さんのところに連れて行くことはできないけど、伝言くらいなら――」
氷河が横目でぎろりと瞬を見おろし、瞬は全身を縮こまらせるようにして、その先の言葉を飲み込んだ。






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