「やっぱ、クールになったわけじゃなく、ただ ものぐさになっただけだったんだ! つまり退化! 安心したぜー」 仲間の退化を喜ぶ星矢の態度には、問題が多々あるような気がしたが、紫龍は今はその件については言及を控えることにした。 星矢は、熱き血潮を共有しているべき自らの仲間がクールだのニヒルだのでいることが不愉快なだけだったのだ。 そして、事態がこうなってしまうと、ここで最も優先して解決を図るべきは、氷河に対する星矢の感情ではなく、瞬に対する氷河の思いと氷河に対する瞬の心の方だった。 「瞬……」 瞬の名を呼んだきり、氷河がまたしても沈黙してしまう。 氷河は、すっかり無口が板についてしまっていた。 確かにこれは退化なのかもしれないと、紫龍は内心で呻いたのである。 つまり氷河は、喋る時間にも瞬の姿を見詰め、瞬のことを考えていることが常態になってしまったために、余計なことを考えすぎる男になってしまったのだ。 瞬の気持ちを考えすぎた挙句に出てくる言葉が、 「冗談だ。本気にして気に病むな」 では、事態の好転は全く望めない。 「クールの振りってのも大変だな。そんな見え透いた嘘もつかなきゃなんねーんだ?」 星矢が、アテナ張りの無責任で氷河をけしかけていく。 「しかし、恋の力ってすげーな。瞬のためなら、この氷河でもクールにもなれちまうなんてよ」 「似非だがな」 紫龍はそろそろ投げやりな気分になりかけていた。 少しくらい無謀無責任無計画無でいた方が、事態は変化進展するのだ。 彼等の女神がその好例を示してくれているではないか。 それが好転であれ暗転であれ、膠着よりはマシというものである。 口数を減らしたために、以前よりずっと瞬を注視し、瞬の気持ちや立場を考慮することができるようになり、それがために図々しくなれなくなってしまった氷河。 沈黙は金――なのかもしれない。 しかし、思いを募らせているだけでは、恋は決して成就しないのだ。 沈黙を守っている氷河を、瞬は――瞬もまた無言で見詰めていた。 頬の火照りは少しおさまってきている。 瞬は無口になってしまった氷河のために、そして二人のために、ここは自分が言葉を駆使しなければならないのだと悟ったらしい。 そして瞬は、氷河が無口でも饒舌でも、クールでも非クールでも、氷河を好きだった。 瞬が好きになったのは 氷河のそういう部分ではなかったのだ。 「僕、氷河が好きだよ。氷河のすることなら大抵のことは、あの……受け入れられると思う」 「瞬……」 氷河が驚いたように瞳を見開き、瞬を見詰める。 視線が合うと、瞬はすぐに頬を染めて瞼を伏せてしまった。 「俺は――」 以前自分はどんなふうに言葉を用いて、その感情や意見を他人に伝えていたのか――氷河は、必死になって、それを思い出そうと努めてみたのである。 だが、氷河に思い出すことができたのは、掠れた声の発し方だけだった。 「俺はおまえが好きだ。本当に好きだ。好きで好きでたまらない。だが、この気持ちを言葉にすることは難しくて――喋れば喋るほど真実から遠ざかるような気がして――」 思いが深まるほどに言葉が力を失っていくのを実感し、そうして氷河は何も言えなくなってしまったのだ。 言葉の力を見失ってしまった氷河にできることは、瞬を抱きしめ、その唇に口付けることだけだった。 人目も場所柄もわきまえていない氷河の突然の暴挙に、今度は瞬が瞳を見開くことになる。 「瞬……」 氷河の瞳が心配そうに自分の顔を覗き込んでいることに気付いて、瞬ははっと我にかえり、そして急いで彼のために笑顔を作った。 「だ……大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。でも、僕これが初めてのキスだったんだから、氷河、ちゃんと責任とってね」 「いくらでも……!」 瞬が決してそれを“迷惑”とは思っていないらしいことを知らされて、氷河は その瞳をぱっと空の色に輝かせた。 言葉に真実を伝える力はないと思いかけていたのに、そして、瞬の言葉は決して真実そのものを言い表すものではないというのに――むしろ他愛のない冗談ですらあるのに――、その言葉には確かに力があった。 氷河は瞬の言葉によって力を得、だがその事実をすら言葉で伝えることができず、代わりに瞬を強く抱きしめたのである。 実際に言葉を用いて言われなくても、星矢と紫龍は、氷河が「さっさとここから立ち去れ」と彼等に命じていることがわかった。 沈黙は金。雄弁も金。行動も金。 ただし、それらを価値と意味のある黄金にするものは、その内に潜む心そのものである。 Fin.
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