「頭部を強打したようですが、命に別状はありません。打った場所が場所なので、一通り精密検査はしましたが、まあ彼のことですから大丈夫でしょう」
昨今の病院の壁は白くない。
顔なじみの外科医にそう言われて、瞬が安堵の胸を撫でおろしたのは事実だった。
氷河がその身を挺して自分を庇ってくれたことには感謝もしていた。
しかし瞬は、それでも氷河と顔を会わせたくなかったのである。
我が身の危険を顧みず仲間の命を救う――その美しい行為の目的を思うと、瞬は氷河に会っても心から『ありがとう』と言うことができそうになかったのだ。

「そりゃよかった。氷河の奴、すぐに起き上がらないから慌てちまったぜ」
「会うことはできますか」
「大丈夫ですよ。検査のために、一部麻酔をかけていましたが、もうすぐ目覚めるでしょう。いつもの特別室にいます」

医師に面会の許可をもらえば いの一番に氷河の許に向かって駆け出していくものと思っていた瞬が、その場から動こうとしない。
紫龍は訝って、瞬に声をかけた。
「瞬、どうした? 氷河に会えるそうだぞ」
「氷河なんて……どうせ、僕を助けようとしたんじゃなくて、変なこと目当てなんでしょ。氷河は別に僕の命なんてどうなってもいいと思ってるんだ」
「おまえ、まだそんなことにこだわっていたのか」

今回のことで瞬も氷河に対する考えを改めたものと思い込んでいた紫龍は、瞬の意固地に、さすがに呆れた顔になってしまったのである。
だいいち その“変なこと”は、そこまで即物的な行為ではない。
少なくとも氷河が求めているものは、そんなものではないだろう。

「ナニが目的でも、さすがに命に用はないとは思っていないだろ。死んだらナニもアレもできないんだし。つーか、瞬。おまえ、俺たちの冗談を真に受けるなよ!」
事態がこうなると、星矢が氷河の肩を持つ方向に傾き始めるのも当然のことである。
まるで責めるような星矢の口調に、瞬は向きになった。
「冗談? じゃあ、氷河が僕に変なことしたいから優しくしてくれてるんだっていうのは冗談だったの? あれは でたらめ?」
「いや、それは ほんとのことだけどさ。でも……」
“変なこと”をしたいのも、氷河が瞬を好きだからである。
星矢たちが語るまでもないと考えて語らなかった部分を、どうやら瞬は全く理解していないようだった。

「氷河を見るたびぞっとするんだ。あんなに綺麗な目をしてるのに、そんなこと考えて僕を見てたなんて――」
「……」
仮にも命の恩人に対して 嫌悪感を隠そうともしない瞬に、さすがの星矢も嘆息せずにはいられなかったのである。
氷河は何を好んで こんな面倒な相手に惚れたのかと、星矢はいっそ氷河を殴りたいような気分になった。

「おまえ、ほんとに思春期の処女みたいに潔癖だな。そーゆーの、よくねーぞ。おまえみたいなのが、友だちみんな失くしても自分は悪くないって言い張って、最後には一人ぽっちになっちまうんだ」
「悪いのは僕の方だっていうのっ !? 」
「そーじゃないけどさー……」

これは自分の撒いた種だと、星矢は一応自覚していた。
自分の過失を正当化するつもりもない。
しかし、もし、氷河が何も告げずに瞬に“優しく”し続けたとしても、瞬は100年経っても氷河の気持ちに気付くことはなかったのではないかと、星矢は思わずにはいられなかったのである。






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