諸悪の根源は、城戸邸の庭の一角にいた。
季節は秋だが、城戸邸の敷地が抱く林の紅葉にはまだ早い時季。
秋の花が眺められるわけでもなく、しいていうなら城戸邸の建物の全貌を眺め渡すことができるのが唯一の取りえといえるような 詰まらない場所に、氷河は、何をするでもなく ぼんやりと考え事をしているような風情をして突っ立っていた。

その姿を見付けるなり、星矢は、一瞬の躊躇もなく仲間に噛みついていったのである。
「おい、この色男! 責任をとって、瞬をアテナの聖闘士に戻せ!」
「何のことだ」
突然何の前置きもなく面罵された氷河が、星矢の威勢に面食らったような顔になる。
星矢のあとを追いかけてきた紫龍は、星矢の芸のない単刀直入振りに嘆息することになった。
そんな仲間の姿が見えていない星矢は、どこまでも自分の目的に向かって一直線である。

「瞬がおまえに惚れて、おかしくなってる。あれじゃあ、そのうち まともに聖闘士として闘えなくなりかねない。アテナの聖闘士が戦闘不能なんて全世界の危機だろう! だから、瞬を元に戻せ!」
「……なに?」
星矢は、自分では全く意識していなかったが、結果として、瞬の恋の橋渡しをしてしまっていた。
彼は静かな城戸邸の庭に響き渡る大声で、瞬が氷河に“惚れて”いることを知らせてやったのだ。
星矢の怒声を聞いた氷河は、驚いたような、心を安んじたような、星矢には今ひとつ理解できない表情をその顔に浮かべた。

それから星矢とは対照的に抑揚のない静かな声で、
「戻せと言われても――それは無理だ」
と、興奮気味の星矢に告げる。
氷河のその穏やかな声音に、星矢は気勢をそがれた。
目一杯怒らせていた彼の肩から、すとんと力が抜けていく。
そんな自分に不満を覚えながら、星矢は少々口をとがらせて氷河に尋ねた。

「なんでだよ。おまえのせいで、瞬はあんなになっちまったんだから、おまえが元に戻してやるしかないだろ」
アテナの聖闘士が闘えなくなるという重大な危機を招いた原因は氷河にある。
この危機は当然、危機を招いた原因によって消し去られなければならない。
星矢の考えは単純明快だった。
しかし、事態は、そう単純ではなかったのだ。

「その前に、それより大きな問題がある」
「大きな問題?」
オウム返しに反問してきた星矢に、氷河が微かに頷く。
それから彼は、苦笑と当惑が相殺し合ってできたような無表情で、その事実を星矢に告白した。
「俺も瞬と同じ病気にかかっているんだ」
「へ?」

星矢はすぐには氷河の告白の意味を理解できなかったのである。
星矢は氷河の告げた言葉の意味を咀嚼・把握する作業に取りかかるまでに、まず相当の時間を費やした。
やがて氷河の言葉の意をなんとか理解することはできたのだが、それで星矢の混乱が綺麗さっぱり消え去るわけもない。

星矢はそういう事態を、全く考えていなかったのである。
同性が同性に、聖闘士が聖闘士に、同じ闘いを闘うという絆で結ばれた仲間が仲間に 恋心を抱くという現象は、滅多に発生するものではない。
瞬が氷河に対して恋情を抱くことは、まさに秋の椿事であり、常識では考えられない異常な事態である。
だというのに、氷河までが、同性で聖闘士で仲間である瞬に対して同じ気持ちを抱いていたら、それはご都合主義の映画や小説並みに出来すぎな話ではないか。
出来すぎな話だと、星矢は思っていたのである。

否、星矢は思ってもいなかった。
それは最初から慮外のことだったのだ。
しかし、現実に、アテナの聖闘士がアテナの聖闘士として闘えなくなるという危機は、瞬の上だけでなく、瞬にその危機をもたらした氷河の上にも訪れているらしい。
そして、氷河にその危機を運んできたのは瞬だった――。

「瞬を抱きしめることができるなら、世界なんぞ滅びてしまってもいいとさえ思う。そんな俺に、瞬を元に戻すことなどできるわけがない。瞬が元の瞬に戻ったら、俺の胸はつぶれてしまう」
諸悪の根源を叩き潰しにやってきた星矢の前で そう語る氷河の表情と眼差しは、つい先刻 星矢の目の前で 自らの心情を切々と訴えていたシュンのそれに酷似していた。
ひどく つらそうで苦しそうなのに、その内側から何か熱いものがあふれ出てくる。
氷河をそんなふうにしたのは瞬――つまり、『悪いのは瞬』なのだ。






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