好きだと言われて不機嫌になるのも妙な話だが、実際 氷河は不機嫌だった。
中身より外見が好きだと言われることが不愉快なのは、外見の価値がやがては失われてしまう頼りないものだという理由の他に、自分の人格を否定されているように感じるからなのだと思い知る。
肉体同士の交わりが充足していることが、ますますその乖離を腹立たしく思わせるのだ。

「なんだ。どうしたんだ。何かあったのか?」
朝から仏頂面でラウンジの壁を睨みつけている氷河を不審に思い、紫龍が事情を尋ねてくる。
彼は昨日の事件勃発時、中華街の馴染みの店に彼が愛用している芝麻醤の入荷があったという知らせを受けて買出しに出掛け、城戸邸を留守にしていたのだ。

ソファにふんぞりかえっているのでなかったら 発達障害児の振舞いにしか見えない氷河の様子の訳を、氷河当人ではなく星矢が紫龍に告げる。
発達障害どころか、氷河は のどかに恋の悩みに身を浸らせているだけだと知らされた紫龍は、安堵したように明るい笑顔を作った。

「そう言えば、アナトール・フランスが『綺麗な女は想像力のない男に任せておけばいい』と言っていたな」
普段の氷河なら、『綺麗な女』になぞらえられたことに腹を立てるところだったろうが、今日の氷河は無言無反応だった。
のんきな割りに、氷河の苦悩は深刻らしい。
紫龍は両の肩をすくめ、無反応な氷河の代わりに口を開いたのは、その場に居合わせた天馬座の聖闘士だった。

「氷河の綺麗なツラは、想像力を駆使して補正修正しなくても綺麗なままだから、余計な想像力を働かせずに済んで楽だってことか?」
「瞬は、並み以上に想像力の豊かな人間だと思うが。でなければ、氷河なんかに惚れたりはできないだろう」
「?」
紫龍は言っていることが矛盾している。
少なくとも星矢はそう思った。

微妙に顔を歪ませた星矢をやりすごして、紫龍が、氷河が身を沈めているソファの向かい側にある肘掛け椅子に腰をおろす。
そして、彼は、心ここにあらずといった風情の氷河に話しかけていった。
「で、おまえは、瞬にどういう答えを返してもらえれば満足なんだ。『人格高潔な清廉潔白居士だから好きになった』とでも言ってほしいのか」
「……」

氷河は外界からの刺激を完全に遮断していたわけではなかったらしい。
紫龍の皮肉に、彼は一応反応を示した。
すなわち、自分が人格者などという大層なものではないことを自覚している氷河は、紫龍の皮肉を正しく皮肉として受けとめ理解し、長髪の仲間をぎろりと睨みつけたのである。
もっとも、その視線からはすぐに力が抜けてしまったが。

「俺は――俺が他人に誇れるのは、俺が誰よりも瞬を好きでいるということだけだ」
氷河が自認している、顔以外の唯一の取りえ――が、それだった。
だから瞬にどうしてほしいということもないのだが、ともかく彼が他人に誇れることはそれ以外に思いつかなかった。

氷河の唯一の誇りを、紫龍が冷徹に否定する。
「誰より自分を愛してくれるから おまえを好きになったと、瞬に言われたいのか? 瞬はそんなふうに人を好きになる奴じゃないぞ」
「……」
氷河には返す言葉を見い出せなかった。
紫龍の言う通りだった。

瞬は、自分を嫌っている者をさえ愛してしまえる人間、自分を憎んでいる敵にさえ優しく接することのできる人間である。
だから瞬は強く、氷河は瞬のそういうところも好きだった。
瞬のその種の強さに、彼は ほとんど驚嘆の念に近いものを抱いていた。

そんなふうに、自分が瞬を好きな理由なら いくらでも思いつくのに、その逆となると、これが、安いほうじ茶の出し殻でももう少し何かが出てくるだろうと思えるほどに、何も出てこないのである。
カラの財布を振っても埃くらいは出てくるものだろうに、それすらもない。
思いつくのはせいぜい、『馬鹿な子ほど可愛い』とか『弱い者を見ると放っておけない』といった情けない言い回しばかりである。
他に氷河の唇から洩れ出てくるものは、意味を成さない空しい溜め息ばかりだった。






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