「だから、この子を見た時、賭けてみようって思ったんだ」
なぜこんな馬鹿に 瞬が見初められるのか――声に出さない氷河の腹立ちを、その子供は察したわけではなかったろう。
だが、まるで察したように、その答えを子供は語りだした。
もっとも、それは、瞬の都合を無視した随分と一方的で身勝手な言い草だったが。

「勇気出して、付き合ってくれって言って、OKもらえたら、もう一度頑張ってみようって。なのに、告白した途端に、あんたみたいに何でも要領よくこなしそうな男を連れてくるし、どうせ俺なんか、やっぱり何しても空回りで――」

『恵まれた奴』の次は『要領のいい男』である。
氷河は他人に『要領がいい』などと言われたのは、これが初めてのことだった。
もちろん、自分でも自分をそんな男だと思ったことはない。
当然 氷河は、中学生のその決めつけの根拠がわからなかったのである。
が、『自分は何をしても駄目』と思っている人間には、自分以外の人間はすべて恵まれており、誰もが要領よく生きているように見えるものなのかもしれない――と、氷河は思った。

その真偽や是非はともかく、この中学生が『何をしても駄目』なことの原因を、瞬のせいにされてしまってはたまらない。
瞬は、そんな理不尽をすら真面目に受けとめ思い悩みかねない人間なのだ。
万一そんなことになったなら、瞬の中に占める“氷河”の部分がますます削りとられてしまうことになる。

「貴様が瞬のために何かを一生懸命努力したとは思えんな」
だから氷河は、大声で怒鳴りつけたいところを無理に抑え、ただ皮肉な口調で子供を非難するにとどめた。
「勇気を出して告白したんだ!」
そんな氷河の“努力”に気付いた様子もなく、子どもが遠慮のない大声を狭い店の中に響かせてくる。

「貴様は1回振られれば、それで諦めるんだろう。何が努力だ」
「そんなふうに偉そうに言えるのは、あんたが何でもうまくやれるからだろ。あんたみたいに何でもうまくできる奴に、俺みたいな落ちこぼれの気持ちがわかるはずないじゃないか!」
いったい本当に この子供は、何をもって勝手に他人を、“恵まれ”、“要領がよく”、“何でもうまくでき”ている人間だと決めつけているのだろう。
氷河は、子供の思考回路がまるで理解できなかった。

「問題をすり替えるな。――では、おまえは自分が何も努力していないということは認めるんだな」
「だから、勇気出して告白したって言ったろ!」
「そんなこと、俺は100回もしている」
「え……」
「そのたびに振られているが」
たった今知り合ったばかりの赤の他人に――それも、非常に気に入らない相手に――なぜこんな情けないことを告白しなければならないのか。
氷河は、超論理を振りかざして騒ぎ立ててみせる子供に、自分が乗せられてしまっているような気がしてきた。

「俺は、でも……」
子供には、しかし、そういう意識はないらしい。
氷河が決して“恵まれた”男ではない事実を知らされると、彼は素直にその語調を弱めることをした。
彼は、氷河を、要領のいい恵まれた男――自分とは対極にある男――だと思うからこそ、攻撃的に出ることができていたらしい。
恵まれていない人間には、そうする権利があるのだと信じ込んで。

「おまえがうまくやっていると言っている奴等だって、見えないところでおまえ以上の努力をしているかもしれないじゃないか。いや、しているに決まってる。人間の能力の差なんて、実は微々たるもんだ。目的のために懸命に努力できるかどうかが、すべてを決めるんだ」
まるで瞬のような正論を吐いている自分に、氷河は目眩いのようなものを感じていた。
だが、この場合は致し方ない。
邪論・曲論は、正論を踏まえている人間に対して用いるからこそ、邪論・曲論として認められる。
スーパーロジックをもって噛みついてくる子供に、それを用いることは危険だった。
実際、その子供には“正論”も通じなかったが。

「俺はどうせ 一生懸命努力もできない馬鹿なんだ。どうせ俺は――」
もともと彼の攻撃と非難は、確たる根拠のない思い込みによって為されていた。
そこを突かれた途端にいじけ始めた子供に、氷河は再び呆れ果て、更なる言葉を吐き出す意欲をも失ってしまったのである。
「勝手に自分は駄目な奴だと自分で決めつけて落ち込んでいろ。瞬、帰るぞ。こんなのの相手をしているのは時間の無駄だ」

人間に与えられている時間には限りというものがある。
その貴重な時間を――自分のそれはともかく瞬のそれまでを――こんな子供のために費やさせるわけにはいかない。
氷河は瞬の腕を掴んで、彼を席から立たせようとした。
しかし、瞬は首を横に振って、氷河の意に従おうとはしなかった。
それどころか瞬は、理のない理を――つまりは感情を――振りかざす子供ではなく、氷河の方を責めてきたのである。

「氷河、そんなの無責任だよ」
「無責任?」
瞬に思いがけない非難を投じられて、氷河はその瞳を見開くことになった。
そんな氷河に、瞬が真顔で頷く。
「無責任だよ。そんなひどいことを言うだけ言って、放っぽり出すなんて。氷河のせいで、彼が本当にいろんなことを諦めちゃうことになったら、どうするの」
「それを俺のせいにするなら、こいつは怠け者の上に卑怯者だ」

氷河はきっぱりと言い切ったのだが、彼は、その意見に対する瞬の同意は得られなかった。
「もう……あの……ね、えと、お話しましょう」
それどころか瞬は、氷河の冷淡を補って余りあるほどの優しさをその瞳にたたえ、再び馬鹿な子供に向き直ったのである。
瞬は、この“子供”に“責任”を持つ気でいるらしい。
瞬がなぜこんな子供にそこまで親身になろうとするのか、氷河にはどうにも合点がいかなかった。






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