「しかし、この国の者が、王家のやりようを見習って、ちゃらんぽらんに愛だ恋だと浮かれて日々を過ごしていることは事実だろう。この国を守護している愛と美の女神以外の神は、勤勉で従順な人間を好み、そういった者たちに恩恵を与えるんだ。自分たちのふしだらな行動は棚にあげて」
「え……」

エティオピアの民ばかりか、オリュンポスの神々までを侮辱するようなことを平気で口にするヒョウガに、シュンは息を呑んだ。
彼は、神々への不敬の罪を犯し、その罰を受けることは恐ろしくはないのだろうかと、シュンは、怖れつつも驚いたのだが、すぐに彼は神々の罰を怖れる必要がない人間なのだということに気付く。
彼と彼の国を守っているのは、平和な家庭の守護神であるヘラと処女神アテナ。
神々・人間を問わず、“ふしだら”な行為を快く思っていない女神たちなのだ。

「この不作の原因が本当に“恋”にあって、それを捨てることで国が救われるなら、僕は一生恋をしないと神に誓ってもいい」
「おまえ一人の誓いに、国を一つ救えるほどの価値があればいいがな。――国のためでなくても、自分のために誓えばいい。人は、恋などしない方がよほど有意義な人生を送ることができるぞ」
自信をもって そう言い切れるほど ヒョウガは年齢を重ねてはいなかったのだが、彼はあえて断言した。
あまりに軽々しく“神への誓い”を口にするシュンを、無用心に過ぎると、彼は思ったのである。
まさか本気ではあるまいが、この世には、神々が祭られている神殿で無思慮な放言をしたために、子々孫々まで その人生を縛る事態を招いた愚かな英雄もいるのだ。

シュンの誓いは、案の定、熟慮の末に辿り着いた結論ではなかったらしい。
恋をしないと誓ってもいいと言った側から、シュンは“恋”を擁護し始めた。
「でも、恋をすると、人はとても幸福な気持ちになれると聞いています。人は幸福になるために生きているのではないの?」
「何を幸福と感じるかは人それぞれ――ということは認めよう。しかし、恋にうつつを抜かし、まともな判断力を失っている者が『自分は幸福だ』と思ったとしても、その判断は誤っている可能性の方が大きいのではないか」

「それは……。でも、それが誤りでも、錯覚にすぎなくても、その人が自分は幸福だと感じているのなら、それが幸福というものなのじゃないですか。他人の目には とても幸福そうに見える人でも、その人が自分は幸福だと思っていなければ、その人は幸福じゃない――」
のんきな王子様は、なかなか口が達者で、そして、決して馬鹿ではないようだった。
そういう考え方でいるのなら、なるほど彼はいつどんな時でも――自分と自国の民が飢えようとしている時でも――幸福でいられるだろう。
「それも、命あっての話だ」
ヒョウガは、皮肉の色を隠さない笑みを口許に刻み、のんきなエティオピアの王子との愚にもつかない雑談の終了を宣言した。

「おまえとおまえの国の民が幸せであり続けるために、俺に仕事にとりかからせてもらえると有難いんだが」
「あ……」
「天候は良好なのに、不自然に農作物が実らないというのなら、エティオピアは、いずれ力のある神の怒りを買ったと考えるのが妥当だろう。その怒りを解くのが唯一の解決策だと思うぞ」
「か……神の……?」
「まずは、これが作物の病気等による不作でないことの確認。それが確認できたら、問題の神の特定。該当の神の神殿で、その怒りを解く方法に関しての神託を仰ぎ、それを実行する。エティオピア国内の農地の現状を説明できる者との面談と資料の開示を、事前に依頼しておいたんだが、それは用意できているんだろうな」

ヒョウガはこれ以上、意味のない無駄話に時間を費やすつもりはなかった。
シュンに口を挟む隙を与えないように、矢継ぎ早に要求と質問を彼に浴びせる。
「あ、はい……でも、あの……」
それをヒョウガに提供することが本来のシュンの務めだったはずなのに、ヒョウガにそれらのものを求められると、シュンは、突然妙にそわそわした様子で、謁見室の入り口の方に ちらちらと視線を投げ始めた。
いったいそこに何があるのかと怪訝に思い、ヒョウガもまた白砂色の幕がおりている入り口の  方へと視線を巡らせたのである。
ちょうどそこに若い兵がやってきて、脇に寄せた幕の隙間から何か合図を送るようにシュンに軽く頷いてみせた。

途端にほっとしたような顔になって、シュンはヒョウガの方に向き直った。
「長い間、お引きとめしてしまって申し訳ありませんでした。求められた資料等は図書館の閲覧室に用意してありますから、そちらへ案内させます。あなたに現況を説明するはずの者は、あなたのご到着前から・・・・・・、しびれを切らして、あなたをお待ちしていたんですよ」
妙なところを強調するシュンを訝りはしたのだが、これでやっとくだらない与太話から解放されるのだと気を安んじたヒョウガは、あえてシュンの言の意味を追求せず、喜び勇んでエティオピアの王子に背を向けたのだった。






【next】