翌日 城戸邸に瞬を訪ねてやってきた例の学生は、その手にクッキーと紅茶の詰め合わせを携えていた。
機嫌のよさそうな彼の顔を見ながら、瞬は、就職を有利に運びたいのなら、教授の機嫌をとったり、あちこちに手土産を配ったりするよりも、真面目に勉学に励んだ方がいいのではないかと思ったのである。
瞬は就職活動などというものをしたことはなかったが、それは成績だけでどうなるものでもないのだろうと察することくらいはできたので、自分の考えを彼に告げるようなことはしなかったが。
なにより、昨日の氷河の振舞いについて彼は何かを知っているのではないかという期待のために、瞬は手土産を持った来客を玄関から追い返すことができなかったのだった。

「昨日僕が声をかけたのは、僕がレポート提出の時にいつも頼りにしてる、ゼミの中でも才媛ばかりだったんだけど――いつも落ち着き払ってる彼女たちが、今日はみんな上機嫌でさ。昨日はどうだった? って訊いたら、急に中学生みたいにきゃあきゃあ騒ぎ出して、びっくりしたよ」
「じゃ……じゃあ、集団デートだったっていうのは ほんとだったんですね」
その事実は既に安心材料の一つになり得ないことを知ってはいたのだが、それでも瞬は彼に確認を入れた。
就職活動中の学生が、頷く。

「どっかのティーラウンジで落ち合って、それからカクテルバーみたいなとこに行ったらしい。彼は、とにかく愛想がなくて、素っ気なくて、ぶっきらぼうだったらしいんだけど、でも、女史たちは そこがいいとか何とか浮かれてたよ。やっぱ、顔のいい男は得だよなー。僕だって、自分では並以上と思ってるけど、僕が彼女たちにそんな態度とったら、即座に村八分、留年決定なのに」
『レポート提出のたびに他人に頼っているような人間が、そんな態度をとったなら、それも当然のことだ』と瞬は思い、思ってから、自らの刺々しい思考に驚いた。
もちろん瞬は実際にそんな考えを口にするようなことはしなかったのだが、自分がこの事態にどれだけ苛立っているのかを、瞬は改めて認識することになったのである。

だが、今の瞬は自分の苛立ちを静めるより先に――彼に尋ねたいことがあった。
「あの……その人たち、まさか氷河と――」
「え?」
「いえ……なんでもないです……」
瞬が彼に尋ねたいことは、だが非常に言葉にしにくいことでもあった。
そしてまた、答えを聞くのが恐ろしいことでもあったのである。
氷河と彼女たちは、そのカクテルバーに何時までいて、その後どこに行き、何をしたのか――などということは。

「彼女たちって、自分たちが取り巻きにちやほやされることはあっても、その逆は絶対にありえないってタイプのヒトたちなんだ。いいとこのお嬢さんだったり、プロ並みに一芸に秀でてたりして、プライドも高くてさ。本来なら自分が大勢の中の一人扱いされるなんて許せないって思うタイプのはずなんだけど、それが、あれじゃあ、まじで、ジャニタレにきゃーきゃー騒ぐ中学生と同じだよ。正直、びっくりした」
「……」

彼は、瞬の知りたいことの核心に言及することはなかったが、それでも彼の語る話は、瞬を不安な気持ちにするのに十分な力を持っていた。
氷河は、自分にとって価値があると思う者以外の人間には基本的に無関心を通す男だが、一度気に入ってしまえば、余程のことがない限り、その相手を退けるようなことはしない男でもある。
そして、人は――氷河も――昨日までは無関心だった人に 今日も無関心でいるとは限らないのだ。

「ひょ……氷河は疲れるから その人たちとはもう会わないって……」
多分に希望の混じった推測で、瞬は、この場にいない女子大生たちを牽制した。
彼女たちを氷河に引き会わせた学生から、思いがけない答えが返ってくる。
「え? でも、女史たち、今日も彼とデートの約束を取りつけてるって言ってたぜ?」
「まさか……」
彼の返答に、瞬は呆然とした。

昨夜 帰宅した氷河は、彼女たちとの会合を心から楽しめたような様子は見せていなかった。
そして氷河は、本来、大人数でつるむことを 瞬の兄以上に嫌う人間なのだ。
彼がアテナの聖闘士として 彼の仲間たちと行動を共にしているのは、まさに、彼が彼の仲間たちを“仲間”と認めているからなのである。
そして、瞬でさえ、彼に彼の仲間と認めてもらえるようになるまでには相当の時間を要した。
昨日今日知り合ったばかりの人間を氷河が気に入ることなど、まずありえないことなのだ。――が。






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