lover's eyes






夕食の時刻直前に城戸邸に帰ってきた氷河は仏頂面だった。
仏頂面のまま夕食を済ませ、仏頂面のままダイニングルームからラウンジへと移動する。
最近の氷河は、外出から帰ってくるたびに毎回、この同じパターンを繰り返していた。

「おまえ、この頃、外に出るたび、機嫌悪くして帰ってきてねーか?」
氷河は、いつでも親しみやすい表情を浮かべている男ではなかった。
しかし、しばしば あからさまに不機嫌な顔を見せる男でもなく――要するに、彼は表情を作る作業を面倒くさがる性癖の持ち主だったのだ。――彼の仲間たちは そう認識していた。
その氷河が、目に見えて不機嫌な表情を、しかも決まって外出から帰った時に限って見せる。
彼の仲間たちがそんな氷河に不審の念を抱くのは、ある意味当然かつ自然なことだったろう。

星矢に問われた氷河は、暫時 その質問に答えを返すべきか否かを迷ったようだった。
不機嫌の原因となった不愉快を口にして、自らの不機嫌の度合いを深めることもあるまいと、彼は考えたのかもしれない。
だが、それは自分の胸中に収めておくのも不愉快なほどの不愉快だったらしく、彼は結局彼の不機嫌の理由について言及を始めたのである。

「俺はそんなにビンボー人に見えるか」
「へ?」
突然そんなことを尋ね返された星矢は、その目を丸くした。
金は持っていないが、金に不自由もしていない――という氷河の実態を知っているだけに、星矢は彼への返答に窮することになったのである。
星矢の見解を、だが、氷河はさほど必要としていたわけではなかったらしい。
仲間の返答を待たずに、彼は彼の不機嫌の訳を語り始めた。

「この頃、街を歩いていると、やたらと妙な奴等に声をかけられるんだ。女性向け社交場に勤める気はないかだの、会員制社交クラブで働かないかだの、言い方はどうあれ、つまりはホストクラブだ。その割りにキャッチセールスの類は寄ってこないから、これはどう考えても、俺が傍目に金に困っているように映っているのだとしか思えん」
「そ……そりゃまた珍妙な」
正直、こんな無愛想な男にホストが勤まるのなら、イースター島のモアイ像でもホストになれるだろうと、星矢は思った。

「今日に至っては、カブキ町を歩いていたら、突然どこぞのおばさんが突然俺に名刺を差し出してきたんだ。肩書きがサービス業らしい会社の代表取締役社長だったんで、またホストクラブの勧誘かと思ったら、俺に個人的に自分の世話になる気はないかと言ってきやがった」
「個人的に世話?」
「俺に男妾にならないかと言ってきたんだ! 手当ては月50万。俺を囲うにしては安すぎる金額だろーが!」

氷河が、彼に求められた職務の内容に腹を立てているのか、その報酬額の少なさに腹を立てているのかは、今ひとつ判断に迷うところだったが、ともかく彼が非常に立腹していることだけは、彼の仲間たちには嫌でもわかった。
紫龍が、『慰める』というよりは 気の立っている仲間をなだめるように言う。
「おまえはまた、Yシャツ1枚だけで外を歩いていたんだろう? 暦の上では春になっているとはいえ、外はまだ肌寒い。ジャケットくらいは着てないと、ビンボー人に見られても仕方がないぞ」
「俺がそんな格好で外を歩いていると沙織さんの立場が悪くなると、このあいだ瞬に言われたばかりだったから、俺は今日はちゃんとジャケットを着ていたんだ!」

氷河は、妙なところで素直な男のようだった。
その素直さに免じて、星矢は彼の窮状に関して、真面目に考察してることにしたのである。
「じゃあ、それはおまえがビンボー人に見えたからじゃなく、おまえがそういう雰囲気を漂わせてたからだったんじゃねーの?」
「そういう雰囲気? 何だ、それは」
「オンナに食わせてもらうタイプの男の雰囲気だよ」

星矢の忌憚のない意見に、氷河がむっとした顔になる。
しかし、星矢は、氷河の睥睨ごときに怖気づくような精細な人間ではない。
「そういう雰囲気の奴が、カブキ町なんて日本一の歓楽街を歩いてたらさ、そりゃあ、そういう おシゴトの勧誘が降ってくるのは当然のことじゃん。だいいち、おまえ、なんでそんなとこ歩いてたんだよ」
「夕べ、瞬がDVDで見た一昔前の映画のパンフレットが欲しいと言っていたから、買ってきてやろうと思ったんだ。あそこは、裏通りにマニアックなパンフ屋だの古風なブロマイド屋だのがあるからな」

氷河は、妙なところで親切である。
その親切に免じて、星矢は再度、彼のために再度、忌憚のない意見を述べる労をとることにした。
「まあ、一人で歩いてる限り、おまえの場合は仕方ないような気がするな。見てくれが派手だし、おまえはどうしたって 地に足をつけて生きてる男には見えないんだよ」
「じゃあ、俺は一生、あの手の輩にまとわりつかれ続けるのかっ」
「一生とは言わないけど、あと20年くらいはそうなんじゃねーの?」

星矢は全く他意なく、彼の正直かつ率直な意見を口にしただけだった。
それがわかるから、氷河は咄嗟に反駁の言葉が出てこなかったのである。
氷河の窮状を見兼ねた紫龍が、現状打破の一方策を氷河に提案する。
「彼女を作って、一緒に歩いていれば、そんなことにはならないんじゃないか?」
紫龍のその言葉に、それまで仲間たちの会話に加わらず、テーブルの端で空になったティーカップを弄んでいた瞬が、急にその肩を強張らせる。
「俺は、そんな面倒なものを作る気はない!」
氷河の即答に、瞬は緊張させていた肩から力を抜いた。

しかし、数秒後、瞬は再び、今度は全身を強張らせることになったのである。
他でもない氷河の、
「あー、しかし、あれだ。彼女の振りをしてくれるオンナならいてもいいな。俺に何も求めず、俺を束縛せず、俺が死んでも泣かない。俺が外を歩く時だけ、黙って俺の横にいてくれるようなオンナなら」
という言葉によって。






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