「僕は……ヒョウガの本当の姿を知らずにいたの……。ヒョウガがこんなに したたかだったなんて」
ヒョウガに王としての資質を備えてもらうために汲々としていた これまでの自分が、今となっては道化に思えて仕方がない。
シュンがそんなことをしなくても、ヒョウガは着実に王にふさわしい知略と大胆をその身に備えていたのだ。
これまで自分が知らずに演じていた滑稽な空回りが――その記憶が、シュンに虚ろな笑いを運んでくる。
そんなシュンに、ヒョウガは、
「すべてはおまえのためだ」
と、それまでの軽い口調を改め、真剣な目をして訴えてきた。

「いつかは政略結婚の話が出てくることがわかっていたからな。その時、おまえを失わずに済むように、おまえへの誠意を貫き通せるように、あれこれ画策していたんだ。メスラムの残党の件は、ただの余禄だ。国政で失策さえしなければ、世継ぎなど儲けなくても誰にも文句はつけられないだろうとは思ったが、最悪の場合には、『国王不適性』という逃げ道を用意しておきたかったからな。まあ、俺は国家と結婚したとでも宣言すれば、国民はかえって感激するかもしれないし、機を見て議会制を導入すれば、そのうち王なんてものは不要になる」
「議会制……」
「民には賢王と思わせ、臣下には牛耳りやすい愚王と思わせておくのが、王が最も動きやすい状況だろうな」

自らの特権の放棄を企て、周囲の者に愚か者と思われることを屈辱と感じない――。
そもそもヒョウガは、“普通の”人間とは発想が違う――と、シュンは思った。
さすがは、王宮の厩舎の馬を一度に暴走させるという途轍もない悪戯を思いついたガキ大将の成長した果て――としか言いようがない。
「おまえが俺を見捨てられなくなるように、気弱な王子の振りは続けなければならないし、色々苦労してきたんだぞ」
「その切り札を、僕に見せてしまっていいの」
かなり乱暴な漕ぎ手ではあるが、ヒョウガは安心して乗り込むことのできる大きな船だった。
シュンに、やっと笑みが戻ってくる。

「俺には、ねやでの技という切り札が残っているからな」
「そんなもの、どこにあるの」
「夕べのおまえの乱れ具合いを見て、自信がついたんだ」
「あれは……これが最後だと思ったからっ!」
「そういうことにしておこう」

ヒョウガが、本性を出して いやらしく笑う。
王にふさわしいとは言い難い下品を咎めようとしたシュンは、次の瞬間、彼にきつく抱きすくめられていた。
「これから毎晩、おまえを相手に研究を重ねて、おまえが俺なしではいられなくなるくらいの手管を見付け出し、習得してみせるさ。俺は勤勉な男なんだ」
ヒョウガの胸の鼓動が、シュンの頬に伝わってくる。
それが感じ取れるということは、ヒョウガ同様シュンもまた生きているということだった。
そして、これからも生きていていいのだと、ヒョウガの鼓動がシュンに繰り返し伝えてくる。

「僕、本当にこれからもヒョウガの側にいていいの……」
「いてくれないと困る。おまえを失ったら、俺は自暴自棄になって、この国を滅ぼすくらいのことはしかねない。創るより壊す方が簡単だしな」
ヒョウガのその戯れ言を聞いたシュンは、ヒョウガの棟の中で ひやりと冷たいものを感じることになったのである。
この大胆不敵な未来の王は、確かにそんなこともやりかねない人物だった。
シュンの懸念を即座に察し、ヒョウガがシュンの髪に唇を押し当ててくる。

「おまえは、俺の暴走を食い止めてくれなければならない。それが、おまえの最も重要な仕事だな」
「なんだか――」
シュンは、自分がとんでもない相手に恋し、恋されてしまったのではないかと、今更ながらに 身の内に戦慄めいた緊張を覚えることになったのである。
「ヒョウガは普通じゃないよ。聡明すぎるのか大愚なのかは わからないけど、でも、普通じゃない」
「普通だろう。どこにでもいる ありきたりな男だ」

思いがけず、彼にしては謙虚な答えが返ってくる。
自覚がないなら なおさら危険だとシュンは思ったのだが、ヒョウガは人間というものの性質を正しく理解し把握しているだけだった。
「目的と報酬が明確なら、人間てのは、苦労を苦労とも思わず努力するようにできているもんだ。俺には、おまえと二人で幸福になるという明確な目的があるからな。そのために、これからも粉骨砕身 努めるさ」
「僕には――」
「平和と俺の愛と忠誠という報酬だけでは足りないか」

シュンが口にしようとした言葉を察知したヒョウガから、シュンが得ることのできる報酬が提示される。
それは、つい先程まで、『自分には永遠に手に入れることはできない』とシュンが思い込んでいた幸福だった。
解決方法は死しかないと思われた絶望的な事態。
それがただの悪い夢でしかなかったように、今は世界に光が満ちている。

「それが手に入るのなら、僕はいくらでも頑張れそうな気がする」
そして、それらのものが失われない限り、自分はどんな苦難も軽々と乗り越えていくことができるような気がする。
ヒョウガと共にいる限り、自分は二度と希望を見失うことはないだろうと、彼の胸の中で、シュンは信じた。






Fin.






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