ある日ヒョウガは、いつもの通りにタルソスの塔の豪奢な牢獄を訪ねて、そこでシュンに尋ねられた。 「ヒョウガは、聖職者でなかったら何になりたいの」 「おまえの清らかさを守る者になりたい」 「守ってくれています。ヒョウガがいなかったら、僕は、寂しさで挫けていたと思う」 「そうして、おまえを汚す者になりたい」 本心からそんなことを願っていたわけではない。 同時に、願っていないわけでもなかった。 ヒョウガはただ、そんなことを言われた時のシュンの反応を知りたいと思っただけだった。 シュンが、微笑しながら、ゆっくりと左右に首を振る。 「それは無理。ヒョウガは、母の胎内から生まれたままの童貞のように、汚れを拒んでいるもの。汚れを持っていないもの」 シュンは何を馬鹿なことを言っているのだろうと、ヒョウガは呆れたのである。 『モンテ・コルヴィノ家のヒョウガは、母の胎内から生まれたままの童貞のようだ』という言葉を聞いたら、この町中の者たちは揃って腹をかかえて笑い出すに違いないのだ。 だが、そう思うと同時に、ヒョウガは、シュンの言葉は的を射ている――とも思ったのである。 モンテ・コルヴィノ一門のはみ出し者は、つまり、いつまでも大人になりきれない非力な子供なのだということを、シュンは見抜いているのだ。 黙り込んでしまったヒョウガに、シュンが呟くように言う。 「生きているのが つらくありませんか」 「――罪人である俺を慰めてくれる、信仰心に篤く利口な女たちが、俺の周りには いくらでもいるからな」 自分は反抗期の子供ではないと言い張るためではなく、他人に理解されない孤独を虚勢で覆い隠すためにでもなく、それが事実だったので、ヒョウガはシュンにそう答えた。 『信仰心に篤く利口な女たち』とは、この町の娼婦たちである。 それがどういう者たちなのかは、シュンも知っているはずだった。 あの女将が、先日シュンと二人きりになった時、自虐的に自己紹介をし、彼女の仕事の内容も“天使様”に教えてやったと言っていた。 そんな女たちに慰められているということを平気で口にする男を、シュンは汚らわしいと感じるのだろうか――。 ヒョウガは、それも致し方ないことと思ったのだが、シュンはそんなふうには考えなかったらしい。 彼は、少し気落ちしたように俯き、あまり力のない声で呟いた。 「そう……そうですね。ごめんなさい。僕、ヒョウガは僕だけの友人なのだと、勝手に思い込んでいました」 『おまえは特別だ。俺にはおまえしかいない!』と叫びたい衝動に、その時ヒョウガは囚われたのである。 そして、その時ヒョウガは、自分がいつのまにか、恋という名の罪に、身動きもできないほどしっかりと捕まってしまっていることを初めて自覚した。 神が人に求める隣人愛などではなく、“恋”である。 ヒョウガがシュンに抱いている気持ちは、その相手が神に愛されている汚れなき人間だということを除けば、ごく普通の、どこにでも転がっているような ありふれた恋の感情だった。 その思いは、当然、肉の欲望を伴っている。 だが、その欲望に従えば、人の手によって汚れたシュンの上には、“処刑による死”という運命が降りかかってくるのだ。 「ヒョウガ、どうか……?」 恋を自覚した最初の時に、人は何よりもまず、恋に巡り合うことのできた喜びを感じるものなのではないだろうか。 しかし、恋を自覚した その瞬間から、ヒョウガを支配したものは、苦しみ以外の何ものでもなく、そして、苦しみだけだった。 「ヒョウガ……?」 神に愛されるためだけに存在しているようなシュンを強く抱きしめ、共に肉の歓喜に身を浸したい。 だが、何があってもシュンには生きていてほしい。 二つの切実な願いが同じだけの力を持って、ヒョウガを責めさいなむ。 苦しさに眉根を寄せたヒョウガを、シュンは心配そうな目をして見詰めてきた。 これ以上、手を伸ばせばすぐに触れることのできる場所に、しかも二人きりでいるのは危険だと感じたヒョウガは、不安げな顔をしたシュンをその場に残し、清らかな誘惑者のいる牢獄から脱兎の勢いで飛び出した。 |