気を失ったまま 僕は深い眠りに落ち、目覚めたのは翌朝のことでした。
身体がひどく重く、まるで自分の身体ではないようでした。
身体のところどころに、鬱血したような跡がうっすらと残っていました。
僕が彼に噛みつかれたと誤解した首筋に残る跡は、特に鮮やかでした。

僕がそんなことを確かめることができたのは、僕が朝 目覚めた時、僕の部屋のどこにも彼がいなかったからです。
彼の姿は、まるで陽光と共に消えてしまう朝露のように僕の部屋から消えてしまっていて、自分の身体がいつもと違うと感じた僕は、誰に遠慮することもなくバスルームの鏡の前に行き、自分の姿を確認できたんです。
少し髪が乱れていたせいだけではなく、僕の目には自分がひどく憔悴しているように見えました。
それなのに、昨日よりずっと幸せそうな表情をしているようにも見えました。


そんな経験は一生に一度だけで十分――僕がそう思ったのは事実です。
なのに、いったいどういうことなのか――。
目覚めて半日が過ぎ、太陽が沈み、世界がまた夜の闇に覆われ始めると、僕は、今夜も彼が僕の許を訪れてくれることを期待し始めていたんです。
一生に一度で十分と思ったことを、もう一度してほしいと思った。

恐怖を覚えるほどの快さ。
痛みを覚えるほどに甘美な感覚。
まるで広い砂漠の真ん中にひとり取り残された旅人が水を求めるように、僕はそれが欲しくて欲しくてたまらない気持ちになっていました。
彼に触れられ、彼に口付けてもらえないと、僕の身体はひからび、焼けつくような喉の渇きのために死んでしまうと思った。

彼を待っている間、僕がどれほど つらく苦しい思いを味わったことか――。
もし彼が来てくれなかったら僕は必ず死んでしまう――と思いました。
彼が来てくれなかったら僕はどうすればいいのかと、悩みました。
良くない考えばかりが思い浮かび、本当に絶望的な気持ちになりました。

そんな不吉なことばかりを考えながら、僕は彼を何時間も待ち続けました。
何時間も待ち続けた――と感じたのは、でも、事実とは違っていたかもしれません。
彼が僕の部屋に再び姿を現したのは――現れてくれたのは――昨夜よりは、それこそ何時間も早い時刻だったんです。
時計は、そう言っていました。
僕には信じられなかったのですけども。

ともかく、彼は来てくれたんです。
彼が再び僕の許を訪れてくれたことを、僕がどれほど喜び、嬉しく思ったか!
乾きって、今にも砂のようにどこかに飛び散ってしまいかねないと確信していた僕の身体がまた潤されることが約束されたんです。
本当に、涙が出そうなほど嬉しかった。

でも、彼を待ち続けて渇ききっていた僕の喉は、その気持ちを彼に伝える言葉さえ上手に吐き出すことができなくて――だから、僕は、言葉の代わりに自分の両腕を伸ばして、彼の首筋にしがみついていきました。
そうしたら、彼の唇が僕の首に触れて――。
それが彼を恋焦がれていた気持ちを表わすのに最もふさわしい所作であるような気がした僕は――僕もまた――彼の首筋に自分の唇を押し当てました。

僕の唇は彼の首の静脈に触れ、僕は彼の熱く力強い血液の流れを感じることができました。
それだけで僕は、気が遠くなるような陶酔感に溺れることができたんです。
彼と触れ合っていると、僕の痛いほどの渇きは嘘のように消え去り、僕は僕の心身が彼の力によって潤され満たされていくのを感じることができました。

僕は、彼に、もう二度と僕を離さないでくれと訴え、彼は、永遠に僕は彼のもので、彼もまた永遠に僕のものだと誓ってくれました。
だから僕は安心して、昨夜と同じように、自分の心と身体のすべてを彼に委ねたんです。
彼は、尋常の人間のそれとは思えないほどの強さと熱さと情熱で、僕を抱きしめ、僕を潤し続けてくれました。

つい先程まで、砂漠に打ち捨てられたミイラより乾ききっているように感じられていた僕の身体は、彼の腕の中で生き返り、喜び、水の中に戻された小さな魚みたいに撥ねながら 海の中を泳ぎまわり始めました。
僕に与えられた“海”は、実際には彼の腕の中という、とても狭いものでしたけど、僕が思い切り自由に生きていられる場所はもうここしかないと、僕は感じていたんです。

僕は本当に幸せだった。
これ以上の幸せは他にはないと、僕は喘ぐように必死に彼に訴え続けました。
なのに――。
なのに、彼は、翌朝僕が目覚めた時には、またどこかに消えてしまっていたんです。
彼は本当は朝の光に溶けてしまう雪の精なのではないかと、僕は半ば本気で考えました。
でなかったら、彼が僕をひとり残して消えてしまうはずがないと思ったんです。
永遠に二人は一緒だと、あんなに幾度も誓ってくれたのに!
もし彼が僕と同じ人間だというのなら、こんな不実があるでしょうか!

けれど――けれど、僕には彼を憎むことはできなかった。
彼の不実を恨み憎むには、あまりにも 彼は僕にとって必要なものになってしまっていたから。
僕は、その時にはもう、彼によって、彼なしでは生きていけないものに変えられてしまっていたんです。

不安な昼間が始まり、彼の力によって潤い満ち足りていた僕の身体は再び乾き始めました。
でも、僕の身体が干からびて死んでしまう直前に夜がきて、そのおかげで僕は三たび彼に会うことができたんです。






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