「なあ、天才陰謀家のシリュウ。ヒョウガをさ、せめて半日でいいから、追い払う方法はないか? 鬱陶しくて邪魔なんだよ。ヒョウガが俺を見張ってる限り、俺は何一つ自分のしたいことを自由にできない」
「何か悪さを企んでいるのか」
「マルクト広場のパン屋の焼きたてブドーパンを食いたい!」
「王宮を出る気か」
セイヤの意気込んだ様子に、シリュウが眉をひそめる。
無謀なことをされて セイヤに死なれてしまうと困るのは、ヒョウガだけでなくシリュウも同じだった。

「それが無理でもさ、せめて、ヒョウガのあの白い軍服が見えないとこで、でんぐり返ししくらいしてみたいんだよ。ここの王宮の長い廊下をすべって遊んでもみたいしな。そんなことも許してくれないんだぜ、ヒョウガは」
実年齢より10歳は幼い子供のようなセイヤの希望に、シリュウは思わず嘆息してしまったのである。
歩くことを覚えたばかりの我が子から目を離すことができない母親のように、ヒョウガは神経を尖らせて その職務の遂行に努めているに違いないと、彼はヒョウガに心から同情した。

「皇太子殿下の時間は、10年前に止まってしまったと見える。しかし、こればかりはヒョウガの方が正しいぞ。おまえが でんぐり返しをした床に、毒に浸した針の2、3本が落ちていないとも限らない。あの大公妃は、おまえの好きな派手な立ち回りは好まなくても、そういう陰湿なのは好きそうだ」
「でんぐり返しはただの例えだって」
冗談の通じない幼馴染みに、セイヤは両の頬をふくらませた。

「ヒョウガの尾行をまこうとして、色々試してみたんだけど、どうしても逃げられないんだよな。こないだなんて、ヒョウガの尾行をまこうとして、シュンと一緒に王宮内を全力疾走で逃げ回ってみたりもしたんだけどさ」
「結局、僕たちの方が迷子になって、ヒョウガに自分の部屋に戻る道を教えてもらうことになったんだよね」
「……」

ヒョウガに対するシリュウの同情心が ますます募る。
彼の同情心は、ヒョウガだけでなく、こんな皇太子に付き合わされて王宮内を全力疾走する羽目に陥ったシュンにも向けられることになった。
本来シュンは、その外見通りに大人しく控えめな少年である。
セイヤの子供じみた冒険に付き合わされるのは、心臓が破裂するほどの緊張を伴う苦行であるに違いない。
シリュウは、改めて、冒険好きの皇太子に呆れた顔を向けた。
そんなシリュウの顔を見て、セイヤが大きく頷く。

「そんなふうにさ、呆れた顔をするとか、馬鹿にして笑ってくれるとかしてくれれば、こっちだって馬鹿をやらかした甲斐もあるってのに、ヒョウガの奴、あの無愛想な顔でにこりともせず 帰り道を教えてくるのが癪に障ってもう!」
こうなると、セイヤが求めているのは『自由』ではなく、『ヒョウガの鼻を明かすこと』である。
シリュウは、そんな詰まらないことに手を貸すわけにはいかなかった。

「ヒョウガの護衛から逃れる最も有効な手段は、おまえがさっさと大公になってしまうことだな。現大公がそうしても大丈夫と思えるくらいの分別をつけることだ。そうして、国の最高権力者になれば、ヒョウガを他の仕事にまわすこともできるようになるだろう。だが、今は自重していた方がいい。おまえが軽く考えてしでかすことの何が大公妃一派の攻撃材料になるか わからないからな。現大公妃は、『皇太子がパン屋に行った』を『皇太子が女郎屋に行った』にすり替えて、そんな不品行な大公にはふさわしくないと言いだしかねない。実の息子がそれをしていることは棚にあげてな」
「うー……」

どうやら、現大公妃に牛耳られている この宮廷の改革を胸に秘しているシリュウは、基本的にヒョウガの味方であるらしい。
セイヤに無茶をされ、彼はその希望を失いたくないのだろう。
セイヤの自由確保という点に関して、シリュウは頼りになりそうになかった。






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