聖域の聖闘士であるヒョウガが、アテナの村の近くで動くことができなくなったのは、戦いで負傷したからではなかった。
聖域と浜の間にアテナの村が集落ができたことで、聖域に住むものたちは容易に浜におりることができなくなった。
そして、聖域の教皇は、聖域の聖闘士たちに、敵に攻撃を仕掛けられた場合を除いて、対立する者たちと戦闘に及ぶことを禁じていた。
結果、聖域はアテナの村の者たちに海岸を制する力を奪われた形になった。
だというのに、教皇はその奪還を許さない。
教皇のその態度に、ヒョウガは苛立ちと煮え切らなさのようなものを感じていたのである。

その苛立ちを晴らすため、ある日ヒョウガはアテナの村の見張りをやりすごして、浜におりた。
アテナの村の見張りの裏をかいたことに気をよくしたヒョウガは、そして、その岩場でおかしな転び方をしてしまった――だけだった。
大したこともあるまいと考えて聖域に戻ろうとしたのだが、足は徐々に熱を持って腫れ始め、ついに、よりにもよってアテナの集落のすぐ横で、ヒョウガは一歩も歩けなくなってしまったのである。

「歩けんな、これは」
無理に歩くと腱を痛め、一生足を引きずることにもなりかねない。
冷やした方がいいのはわかっていたが、それも叶わない。
まもなく日が暮れる時刻で、闇が聖域の者の姿をアテナの村の者の目から隠してくれそうなことだけが、救いと言えば救いだった。

アテナの村の家々では、そろそろ灯りをともし始めていた。
ヒョウガが腰を落ち着けることになった場所から見あげることのできる聖域にも、灯りがともり始めている。
紫色に沈み始めた空の中に浮き上がるように建つ聖域の姿は、まさに威容であり、ヒョウガはその様をとても美しいと思った。

聖域は、数百年数千年の長きに渡って地上の平和を守ってきた。
聖域は、ヒョウガがこの世に生を受ける前からこの地に存在した地上最高の権威であり、平和を守る行為の象徴、人々に安心を与え、人々の信頼を受けるものだった。
そこには多くの聖闘士もいる。
アテナがいない間、人間の住む地上の平和は聖域の者たちの手で――人間の手で――守られてきた。

アテナを名乗る少女は、
「私は地上の平和と安寧を守るために、ここに在るのだと知りました」
と言って教皇に面会を求めたのだそうだが、それこそは“聖域”の言うべき言葉だと、聖域に住む者たちは誰もが思ったはずだった。

これまでにも、どこぞの巫女だという少女や神憑かみがかりの少女たちが、自分こそは女神アテナの化身と主張して聖域にやってきたが、彼女たちは皆アテナではなかった。
今度のアテナも偽者に決まっているのだ。
もし彼女が本当に女神であるのなら、彼女は その力をもって、彼女に逆らう者たちをとうの昔に殲滅しているはずなのだから。






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