少女の家は、アテナの村のはずれにあった。
ヒョウガが動けずにいたところから さほど距離のない――聖域を見上げることのできる場所に。
その小さなレンガ造りの家は、隣家とはかなり離れており、少女が一人で住むには無用心な家に思われた。
住人がその少女ひとりでなかったら、ヒョウガはその家を、聖域を見張るために一軒だけ村の中心から離れたところに建てられた建物と思ったに違いなかった。
部屋も台所以外には一つしかなく、テーブルと小さな木の椅子と寝台の他には目立った家具もない。

ほとんど口をきかないでいるヒョウガを椅子ではなく寝台に座らせると―― 一脚しかない椅子はヒョウガが腰掛けるには頼りなさすぎた――その足を冷やし、薬を塗り、少し心配そうに、彼女はヒョウガの顔を見上げた。
「もしかしたら、一晩熱を持ち続けるかもしれないけど」
「ああ、大丈夫だ。これだけしてもらえれば、熱が引いたあとには元通りになるだろう」

ヒョウガの言葉に、少女は安心したように微笑した。
出会った時から気付いていたのだが、彼女はかなりの美少女だった。
ヒョウガがまともに動けないことがわかっているからこそ、身の危険を感じずに、彼女は見知らぬ男をこの家に招き入れてくれたのだろう。
自分の怪我は、考えようによっては素晴らしい幸運だったことに、ヒョウガは今になって気付いた。
何を考えているのかと自分を叱咤して、ヒョウガは慌てて少女の上から視線を脇に逸らしたのである。

この家からは聖域が見えた。
開かれた窓の向こうに、たくさんの灯りでその身を飾っている聖域の全貌がある。
ヒョウガの視線を追って視線を窓の外に転じた少女は、短い溜め息を洩らした。
「どうして聖域の人はわかってくれないんだろうね。アテナは地上の平和を守るために聖域と協力し合うことを求めているだけなのに」
「……」

恩人に反駁することもならず、ヒョウガは沈黙を守った――守らないわけにはいかなかった。
地上の平和を守るために、これまで長い時間 力を尽くしてきたのは聖域に住む人間たちであって、アテナではない。
聖域が長い時間をかけて築いてきた権威と業績を、偽者のアテナとその仲間たちに掠め取られることは我慢ならない。
そして、聖域には聖域の秩序と序列がある。
万一、アテナとアテナが従えている聖闘士たちが聖域にやってきたら、彼等はそこにいるというだけで、その秩序と序列を乱す存在になるだろう。
本物のアテナでも快く迎え入れる自信を持てないほどなのに、偽者のアテナなど一歩も聖域には入れてはならない――というのが、ヒョウガを含む大部分の聖域の者たちの考えだったのだ。






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