「僕は――だ……だって、氷河は いつも沙織さんと仲良くしてるし――」 何を言っても言い訳にしかならない――言い訳にもならない。 しかし、瞬は、『付き合うなら、金持ちに限る。俺は金を持っている人間が好きだ!』という彼の言葉を、至って一般的な意味で受け取り、理解し――誤解して、苦しみ続けていたのだ。 「あれ、仲がいいって言うのか」 「まあ、悪いわけではないだろうが」 星矢と紫龍が全く他人事の顔で呑気にそれぞれの考えを言い合っている横で、氷河はがくりと両の肩を落とすことになった。 瞬に『今夜一晩を 僕と一緒に過ごしてくれる?』と誘われ、有頂天になっていた自分がどうしようもなく間抜けな男に思えてくる。 二人の気持ちは とうの昔に通じ合っていて、ついに今夜 すべてが通じ合う二人になるのだと感激していた昨夜の自分は、何とおめでたい男だったのか。 瞬はあの時、氷河の心も知らず、むしろ誤解し、ちょっとした買い物をしていたにすぎなかったのだ。 氷河の落胆は、至極当然のものだったろう。 「そう、落ち込むなよ。おまえには一晩1億の価値があると、瞬は思ってたってことだろ。すげーじゃん、1億だぜ、1億!」 「金で買える程度の男だと思われていたということだ……!」 星矢の慰めが、氷河をますますみじめな男にする。 「氷河、ごめんなさい……」 涙で瞳を潤ませた瞬に謝られても、氷河は即座に立ち直って瞬に『許す』の一言を言ってやることができなかった。 瞬を許せないのではない。 自分が瞬にそんな誤解をされる男だったということが、氷河は情けなかったのだ。 自分という男が、瞬にその程度の信頼と好意をしか抱いてもらえていなかったことが。 「しかし、金を持ってる奴がいいなんて、そんなことを言う男を軽蔑もせずに、おまえはよく、こんな馬鹿に1億も払う気になったものだな」 二者二様に落ち込んでいる様子の二人を慰め励ます気があるのか ないのか、紫龍がふいに素朴な疑問を口にする。 瞬以外の人間には素朴な疑問としか思えないものが、瞬の耳には違って聞こえたらしい。 瞬は、瞳に苦しげな色を浮かべた。 「だ……だって僕は、そうしたら……お金で氷河が買えてしまったら、諦めがつくと思ったんだ。氷河は1億で僕に買われるって言った。だから僕は――なのに僕は……そんなことで軽蔑もできないほど氷河を好きなままで、もうどうしたらいいのかわからなくて――」 瞬の身悶えるように切なげな訴えに、氷河は大いに心を揺り動かされたのである。 金で人間の価値や好悪を決める男という誤解をされてしまう程度の瞬の信頼と好意――。 だが、それは、そんな誤解によっても消え去らないような信頼と好意ではあったのだ――と。 もっとも、紫龍は瞬のその切ない訴えを、 「それは悪趣味もいいところだな」 の一言で断じただけだったが。 「俺は――」 氷河は、おそらくここは、普通なら屈辱的な誤解を受けた男が腹を立てる場面なのだろうと思った。 しかし、腹を立てようにも、瞬が健気で可愛くて、腹を立てることができない。 自分を侮辱した相手を軽蔑できないという点で、氷河は瞬と大して違わないのかもしれなかった。 それでも瞬を嫌うことはできない。 氷河にとって瞬は、そんな誤解や侮辱を受けたくらいのことでは消してしまえないほどの価値を持った人間だった。 「氷河、ほんとに、ごめんなさい」 瞬がまた、謝罪の言葉を重ねる。 今 問題なのは、瞬だけが“悪い”のではないということだった。 氷河の時間を買おうとし、実際に買った瞬。 だが、瞬が持ちかけてきた売買契約の内容を吟味もせず、瞬に買われることを軽率に承諾したのは、他の誰でもない氷河自身である。 二人には互いに負い目があった。 相手だけが一方的に“悪い”のなら、“悪くない”立場にいる人間が相手を許すことは簡単である。 しかし、許す側にある人間もまた相手に負い目を感じている時、『俺はもう気にしていないから』と偉そうに相手を許すことは高慢のような気がしてならない。 氷河はもちろん、瞬を許し、瞬と仲直りをしたかった。 せめて半月前の関係に戻りたかった。 だが、何と言って瞬を許せばいいのか、そもそも自分には瞬を許す権利があるのか――。 氷河には、それがわからなかったのである。 |