氷河たち――瞬以外のアテナの聖闘士たち――は、一輝の女体化を彼の意思によるものだとは、毫ほどにも考えなかった。
仲間たちが考えなかったことを、だが、瞬は考えてしまったのである。

兄が、今どき時代錯誤なほど“男らしさ”を自分自身に求め、弟にも求めていたのは、女性への憧憬の裏返しだったのではないか――と。
瞬の兄の中にはいつも、頼りない弟を守るために強くあらねばならない、男らしくあらねばならないという義務感にも似た思いがあったに違いなく、その思いへの反動が、それほどまでに兄を女性なるものに憧れる男にしてしまったのだ――と、瞬は考えた。
当然瞬は、兄が姉になってしまったことに責任を感じないわけにはいかなかった。

「いったいどうやって……。あの……手術を受けたんですか」
兄ならぬ姉に、そう尋ねる瞬の瞳がつらそうなのは――嫌悪の色などかけらもなく、ただひたすら つらそうなのは―― 一輝が女性になった原因は自分にあると、瞬が思い込んでいるから。
瞬の仲間たちが気付いたことに、瞬の兄(姉)が気付かないはずがない。
本当はできるだけ声を発したくなかったのだろうが、一輝は、彼の最愛の弟の誤解を解くために あえて、そして即座に、その場にアルトの声を響かせた。

「違う」
つらそうな弟の心を安んじさせるために、一輝が言葉を重ねる。
「3日ほど前、俺は聖域の近くで二匹の白い蛇を見付けたんだ。絡まって苦労しているようだったから離してやったんだが、それが実は交尾の最中だったらしい。俺は、おそらく蛇の恨みを買って、こんな呪いをかけられたんだと思う」
「そんな馬鹿げた作り話が信じられるか!」
一輝のアルトの声を遮ったのは、白鳥座の聖闘士だった。

もちろん氷河とて、他の誰でもない瞬のために、この珍妙な出来事が、瞬の兄の意思によるものではないと思いたかった。
これが一輝の意思とは無関係に起こった珍事であってくれれば、瞬は自分を責めずに済む。
そのためになら、蛇の呪いでも亀の呪いでも何でもいい――とさえ、氷河は思っていたのである。
だが、呪いや魔法の出てくる おとぎ話を信じるには、氷河は大人になりすぎていた。
おとぎ話を信じられない氷河に信じることのできる魔法は、恋の魔法だけだったのだ。

そんな氷河の決めつけに異を唱えたのは、氷河以上に おとぎ話を信じていなさそうな龍座の聖闘士だった。
「いや、一概に作り話とは言い切れないぞ。テイレシアスの例もあるし」
と、紫龍は真顔で告げた。
「テイレシアス?」
聞いたことのない名を聞かされて、星矢が横に首をかしげる。
紫龍は軽く顎をしゃくって、星矢に頷いてみせた。
「ギリシア神話に登場する盲目の予言者だ。その予言者様は、キュレネー山中で交尾していた蛇の邪魔をしたせいで呪いをかけられ、女性になってしまったんだ。何年か女性として暮らした後で、彼は男性に戻っている。ある時、ゼウスとヘラに、『男女の性行為ではどちらの方が快感が大きいか』と尋ねられて、『その時の快感は、女の方が男の10倍も大きい』と答えた好き者のじいさんだ」
「へー。女体化しても めげずにヤりまくってたわけか。えらく たくましいじいさんだな」
感心した顔で感嘆の声をあげる星矢に、一輝が心底から嫌そうな目を向ける。
せっかく女性になったのだから、この機会に女体の喜びを味わってみようと考えるような臨機応変さは、不死鳥座の聖闘士には持ち得ない美徳だった。

「蛇の中には、丸一日かけて交尾を達成する種類の蛇もいるからな。それを途中でやめさせられたら、それまで頑張った数時間、十数時間が無駄になるわけで、呪いをかけられても致し方あるまい。氷河、おまえだって、瞬とやってる最中に誰かに無理矢理引き離されたら、その不粋な輩に呪いの一つや二つ かけたくなるだろう」
「俺なら、そいつを殺して、瞬と続きをする」
紫龍に話を振られた氷河が、自慢にもならないことをきっぱりと断言する。
紫龍は、そんな氷河に呆れて、肩をすくめることになった。

「まあ、氷河に比べたら、その蛇はまだ情けを知っていたことになるな。その蛇は一輝を殺したりはしなかったんだから」
紫龍の意見は至極尤もなものだったのだが、蛇の情けによって命を永らえることのできた当人は、彼の見解に素直に賛同して我が身の幸運を喜ぶ気にはなれなかったらしい。
親切心から出た行為の報いで女にさせられるくらいなら、死んだ方が はるかにまし――というのが、瞬の兄の価値観のようだった。

「女に……この俺が女なんかに……。俺の人生はもう終わりだ……!」
アルトの声の呻きは、悲痛そのものである。
一輝は、だが、それで仲間の同情を得ることはできなかった。
紫龍が至ってクールな様子で、
「発言に気をつけろ。それは女性蔑視につながるセリフだぞ」
と、神の聖闘士に忠告を垂れる。
紫龍の冷静な忠告は、一輝から反駁の言葉を奪うことになった。
無論、だからといって、この事態を従容として受け入れることが一輝にできるはずもなく、この事態に対する彼の怒りの炎は、静かに更に大きなものになっただけだったが。






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