「そんなことないだろ。現に俺たちはみんな、おまえを好きだぜ」
『氷河は特に』と続けようとした言葉を、星矢は再び氷河のために喉の奥に押しやることになったのである。
そして星矢は、発言のたびに いちいち氷河に気を遣わなければならないことに苛立ちを覚えた。
それもこれも、すべては氷河が大神ゼウスを見習おうとしないから――なのだ。

星矢の苛立ちになど気付いていないらしい瞬が、今度は はっきりと左右に首を振る。
それから瞬は、不思議な様子で微笑んだ眼差しを彼の仲間たちに向け、言った。
「それは星矢たちが強いからだよ」
「好き嫌いに、強い弱いは関係ないだろ」
普通、人間は、自分に精神的・物理的に損害を与える相手を嫌い、利益を与えてくれる相手に好意を抱くものである。
ある人間が強いことは、他の人間に害を与えることもあれば 益を与えることもあり、ゆえに好悪の感情と人間の強弱の事実の間に関連性はないはずだった。

「いや、だが、アンドロメダ島で一緒に修行していた仲間というのであれば、そのレダとやらは、瞬とアンドロメダの聖衣を争っていた相手なんだろう? 同じ目的を持っていて、それは選ばれた ただ一人の人間にしか成就できない――となれば、そのレダという奴にとって瞬はライバルということになる。そういう立場の人間から無条件の好意を得ることは、瞬でなくても難しいだろう」
紫龍のそれは、レダに嫌われていたという瞬の心を慰めるためのものだったろう。
今回に限り、それは有効な慰めにはならなかったが。

「でも、レダはアンドロメダ島に仲のいい友だちもいたよ。スピカとか――スピカだって、レダにとってはライバルだったのに」
「自分の方が確実に上だと思っていたんじゃないのか。つまり、そのレダとやらは、スピカという奴が自分のライバルになり得るほど強いとは思っていなかった。それなら自分が損害を被ることにはならないから、わざわざ嫌うまでもない」
「……きついことを言うね」

現実に、アンドロメダ島で最終的にアンドロメダ座の聖衣を争うことになったのは瞬とレダだったので、紫龍の推察は必ずしも見当違いのものとは言えないのかもしれない。
その上、紫龍があえて『きついこと』を言うのは、最後の闘いに勝利してアンドロメダ座の聖衣を日本に持ち帰った仲間のためだということがわかるだけに、瞬は切ない気持ちにならざるを得なかったのである。

「僕は――子供の頃から泣き虫で、些細なことですぐ泣いて、みんなに面倒をかけて、でも、星矢たちに嫌われてるって思ったことはなかった。だから、兄さんに何て言われても、本心では泣き虫なことがそんなに悪いことだとは思っていなかったんだ。悲しかったり痛かったりしたら涙が出るのは自然なことだと思って、自分が泣き虫なことを自分に許してた」
自身が幼かった頃のことを語る瞬の眼差しは、懐かしそうでもあり、つらそうでもあった。
おそらく それは その両方の要素を含む思い出になっているのだろう――今の瞬にとっては。

「でも、アンドロメダ島ではそうじゃなかった。アンドロメダ島では、僕が泣き虫なことも、弱虫なことも、自分や他人に厳しくなれないことも快く思われなくて、僕はレダたちにほんとにあからさまに嫌悪の感情をぶつけられた。そういうの初めてのことだったから、僕は本当に驚いて、訳がわからなくて、アンドロメダ島に行った当初は そのことばっかり思い悩んでたんだ。修行のつらさより人に嫌われることの方が、僕はショッキングな出来事で――恐かったから」

城戸邸にそういう者たちがいなかったわけではない。
当時 城戸邸に集められた子供たちの監督を任されていた大人たちは誰も、彼等が世話をしている子供たちに好意を持っているようには見えなかった。
だが、“子供”にとって“大人”という存在は異人種のようなものである。
それは、価値観も 使う言葉の意味も違う種類の生き物なのだ。
そういう者たちに好意を持たれないことは、人間に極端な悲嘆をもたらさない。
しかし、アンドロメダ島で瞬を嫌った者たちは、瞬と同じ価値観と言葉を持つはずの“子供”だった――。






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