翌日、瞬は昼前に城戸邸を出た。
本日も晴天。
気温は、朝の天気予報が告げていた本日の予想最高気温に向かって、じわじわと上昇を続けていた。
瞬は駅に向かって歩いている。
その瞬のあとをつけていた星矢は途中、学校のプールに向かう夏休み中らしい子供たちの群れに幾度も出くわすことになった。
この国は、今のところは、ごく平和な光景を維持し続けていた。

最寄り駅に着くと、そのまま改札に向かうと思われた瞬は、なぜか運賃を表示した路線図の前に立ち止まり、何やら考え込む素振りを示し始めた。
瞬はもちろん、首都圏の鉄道・バスのほとんどで利用できる例のカードを持っている。
切符を買うために 瞬が路線図をしげしげと眺める必要はないはずだった。
してみると、瞬には最初から定まった目的地があったわけではないということになる。

「瞬の奴、何してんだ、ほんとに」
ますます瞬の意図がわからなくなった星矢が、駅構内の柱の陰で独り言を呟く。
「瞬は、何か明確な目的があって出掛けているわけではなさそうだな」
その独り言に応じる声があったことに驚いて、星矢は弾かれるように 声のした方を振り返ったのである。
彼のすぐ後ろに立っていたのは、利便性と常識を無視した長髪の持ち主――すなわち某龍星座の聖闘士だった。

「な! ……んで おまえがここにいるんだよ……!」
いつもの調子で大声をあげそうになった星矢は、慌ててそのボリュームをミニマムに切り替えることになったのである。
尾行がついていることを自分から瞬に知らせるわけにはいかない。
紫龍が――こちらは最初から抑えた声で――答えにならない答えを返してくる。
「俺だけじゃない。氷河もあそこに」
「へ」
「あの目立つ風体で瞬のあとをつけているから、すぐにわかった」

紫龍が視線で示した先に目を向けると、そこには確かに紫龍の言葉通り、某白鳥座の聖闘士の姿があり、おかげで星矢は軽い舌打ちをすることになったのである。
さすがは、生死を賭けた戦いを共にしてきた仲間たちである。
考えることが同じなら、その考えを行動に移すタイミングまで同じとは。
妙なことに感心してから、星矢ははっと我にかえった。

「その目立つ男と組んで、三人で瞬の尾行を続行すんのかよ。すぐバレるだろ」
「大丈夫だ。今の瞬は、何というか注意力がまるでないからな。心ここにあらずという感じで、5メートル離れていないところを歩いている氷河の視線にも気付かなかったくらいだ」
「ああ……」
紫龍の言に、星矢は納得しないわけにはいかなかったのである。

確かに今日の瞬は変だった。
少なくとも、常の瞬ではない。
今の瞬は、地上の平和を脅かす敵に『アテナの聖闘士、覚悟!』と突然拳を向けられても、『あ、こんにちは』と、間の抜けた答えを返しかねなかった。
瞬は、まるで夢遊病患者か催眠術を施された人間のように緊張感がなく、何より周囲が見えていないのだ。
やっと行き先を決めたらしい瞬のあとを追って、三人の尾行者たちは 瞬が乗り込んだ電車の隣りの車両に滑り込んだのだが、さほど車内が混んでいるわけでもないというのに、瞬は一向に尾行に気付いた様子を見せなかった。

昨日の威勢のよい啖呵はどこへやら、瞬は全く颯爽としていない。
覇気もなければ、生気すら感じられない。
心許なげで目的地もなさそうなその様子は、まさに途方に暮れた家出少女のそれで、これで変な輩が瞬に声を掛けてこなかったなら、瞬の容姿を考えれば、その方がおかしいというものだった。

「あれさ、アヤしいお兄さんに声を掛けてくれって言ってるようなもんじゃね?」
星矢の言葉に、紫龍が即座に頷き、氷河もまた不承不承 賛同の意を示す。
瞬の足取りは頼りなく覚束ない。
それは、杖で身体を支えつつ歩いていても不自然を感じないほどに弱々しいもので、瞬のあとをつけているアテナの聖闘士たちは、そんな瞬とは逆に、今にも瞬が倒れてしまうのではないかと懸念し、緊張の度を増すことになったのである。






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