「あんな男共に声を掛けられ続けていたら、瞬でなくても嫌になるだろう」
氷河がそう言ったのは、仲間のために骨を折り、結果として自爆してしまった星矢への気遣いだったのかもしれない。
そして、瞬に罪悪感を覚えさせないための。
いずれにしても、それが彼自身の心を慰めるための言葉でないことは明白だった。
氷河の声には、感情らしい感情が全く感じられない。
作った言葉、作った声で、それはできていた。

(なに言ってんだよ!)
一見したところ、全く取り乱した様子を見せていない氷河を、星矢は内心で怒鳴りつけたのである。
瞬の名も、職業(?)も、これまで瞬が過ごしてきた時間の内容すら知らない男共と、瞬のためなら命も投げ出そうという男。
その両者が十把ひとからげに“そういうの”に分類されてしまうことは あまりにも理不尽だと、星矢は思った。
そんな男共のせいで瞬に嫌われる事態を甘んじて受け入れる――と氷河は言うのだろうか。
氷河がそんな事態を喜んでいないことは わかっていたが、にもかかわらず無表情を保っている氷河に、星矢は腹が立った。

氷河のつらい立場はわかるのである。
わかるのだが、わかるからこそ、星矢は、この事態がどうにも受け入れ難かったのだ。
「でもさ、ほんとに本気で真面目におまえを好きな男がいたとしてさ」
「真面目でも不真面目でも目的は同じでしょ」
「目的……って……」
瞬が何を言っているのか、星矢にはすぐにはわからなかった。
やがて理解し、そんな考え方は瞬らしくないと思う。

だが、星矢は口をつぐむことしかできなかったのである。
氷河が瞬を、その目的の対象物として見ていないとは、星矢にも言い切れなかったのだ。
それだけが氷河の恋の目的ではないだろう――とは思う。
あの男共と氷河との間には、一線を画する何かがあるはずだった。
だが、その“目的”を抜きにしたら、氷河は瞬のただの仲間でいてもいいはずなのだ。
アテナの聖闘士にとって“仲間”とは、絶対の信頼を置き、命さえも預けられる、考えようによっては恋人より親密な関係なのだから。

そこがわからないせいで――これ以上、この場の進行役を務めることは、星矢には不可能だった。
その役を、今度は紫龍が買ってでる。
星矢と瞬のやりとりを聞いているうちに確認したいことができたらしい彼の発言は、実に単刀直入なものだった。
「瞬、答えにくいことを聞いて申し訳ないが、おまえはもしかしたら男に乱暴された経験でもあるのか?」

「え……?」
交代した進行役の第一声が、あまりに思いがけないものだったのだろう。
瞬は、一瞬 自分が何を尋ねられたのか理解できていないような顔になった。
なんとか紫龍の質問の意図を理解すると、見る間に 眉を吊り上げて怒りを露わにする。
「紫龍、僕を何だと思ってるの! 僕はアテナの聖闘士なんだよ! 僕にそんなことできる人がいるわけないでしょう!」

「聖闘士になる前は、おまえも一般人だったろう。それも、どちらかと言えば弱い立場の」
いきり立つ瞬に比して、紫龍の口調はあくまで冷静である――彼が口にした言葉の内容は、あまり穏便なものではなかったが。
にもかかわらず、瞬が怒らせていた肩の角度を徐々に通常のそれに戻すことになったのは、紫龍の指摘が事実だったから、のようだった。

「それは否定はしないけど……。でも、僕はいつもハーデスのペンダントを身につけてたの」
「ああ、そういうものがあったか」
紫龍が、得心したように頷く。
つまり、瞬がまだ か弱い存在だった頃には、瞬の『清らかさ』を保持しようとする冥界の王の意思が瞬を守っていた――ということなのだろう。
その上、瞬は未来のアンドロメダ座の聖闘士、聖衣を手に入れる以前でも、その防御能力は並み以上だったに違いない。

「では、聖闘士になってから――聖闘士が相手の場合は、おまえといえど――」
どうやら紫龍は、考えられるすべての可能性を検証したいらしい。
紫龍の慎重さに、瞬は少しく呆れた顔になった。
「聖闘士でも! 言ったら何だけど、本気になった僕と戦って勝てる人なんて、せいぜいアテナくらいのものだよ」
「それは失礼」
自分が 訊かずもがなのことを訊いてしまったことに気付いた紫龍が、素直に謝罪する。

彼は、瞬を、思い上がるなと断じることはできなかった。
瞬の主張は、自信過剰の成せるわざではなく、自身の実力を正しく把握しているからこそのものである。
瞬が弱くなるのは、戦うことの意義を見失った時、あるいは、情にほだされた時だけなのだ。
明確な暴力に、大人しく屈する瞬ではない。
つまり、瞬に対してそういう行為に及ぶことができるのは、そうすることを瞬が許した相手だけ――すなわち、瞬が好きになった相手だけ――ということになる。

「では、おまえは単に――過去に忘れ難いトラウマを抱えているというような事情があるわけではなく、単純に――“そういうの”が嫌いなだけ――というわけだ」
この問答で紫龍が至ることのできた結論は、この場合、あまり喜ばしいものではなかった。
それはつまり、『瞬が“そういうの”を“だいっ嫌い”になった原因を取り除けば、瞬は“そういうの”を許容できるようになる』という可能性が消えたということなのだから。
「これはもう、第三者のおせっかいで どうこうできる次元のことではないな」
そう呟いて、紫龍が、同じく第三者である星矢を促しラウンジを出ていく。


当事者だけが残されたラウンジで、瞬はおもむろに首をかしげることになったのである。
「星矢たち、なんで急にあんなこと言い出したんだろ」
「……」
そんなことを尋ねられても、氷河には答えようがなかった。
氷河が自らの命を投げ出していいと思うほどの思いを抱いている人は、その命を受け取ってはくれない――氷河にわかるのは、その一事だけだった。
恐ろしく空しく、恐ろしく希望のない片思いを自分はしているのだ――ということだけ。

「だって、普通じゃないよねぇ、“そういうの”」
瞬が怪訝そうに、そして罪のない目をして、氷河に同意を求めてくる。
「そうだな」
瞬に求められたものを瞬に与えてやること以外、氷河にできることはなかった。






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