氷河の腕と言葉に説得されてしまったらしい瞬が、氷河に身体を支えられるようにして その場から立ち去ると、城戸邸の玄関先には3人の観客だけが残された。 修羅場がラブシーンに変わり、いつの間にか幕がおりてしまった舞台。 その立見席で半ば呆けていたジュネが、気を取り直したように呟く。 「瞬はやっぱり、あのいじめっ子を好きだったわけか」 「いじめっ子? それって、もしかして氷河のことか?」 ジュネの呟きを聞き逃さなかった星矢が、思いがけない単語を聞かされたという様子で、その顔をあげる。 紫龍にも、ジュネの呟きは意外なものだったらしい。 「それは初耳だ。氷河はいじめっ子というより、瞬のストーカーというか、とんでもない ませガキというか――」 「おまえみたいにちんちくりんな奴は誰も相手にしてくれないだろうから、俺がヨメさんにして死ぬまで面倒を見てやる――とか何とか いつも言ってたよな。瞬はいつも、僕は男の子なのにって泣いてた」 紫龍と星矢の言葉に、ジュネは目をみはることになったのである。 「まあ……それも、いじめと言えばいじめかもしれないけど」 それをいじめと感じるか、真摯な恋の告白と感じるかは、瞬の主観が決めることである。 この場合は、氷河が異様なほど ませた子供だったということだけが、唯一客観的な事実と言えそうだった。 「瞬に花を摘んでやったり、瞬が泣いてるとすぐに飛んでって慰めたり、甲斐甲斐しいもんだったぜ」 「一輝に先を越されると、すぐに癇癪を起こして暴れていたが、氷河は基本的に騎士道精神にのっとって、瞬を崇拝していたと思う」 「愛に性別は関係ないとか、瞬は女より可愛いから問題ないとか、無茶苦茶なこと 胸張って言ってたな」 「それもセクハラと言えばセクハラだね」 6年前。いったい氷河と瞬は何歳だったのだろう。 ませているにも程がある――と、ジュネは心底から思ったのである。 氷河のそれは、どう考えても、幼い子供の可愛らしい初恋ではない。 それとも運命を感じる相手に出会うと、その瞬間に人は皆、自分の中に大人の部分を持つことになるのだろうか。 そういう相手に出会ったことのないジュネには、それは判断のしようのない事柄だった。 「瞬はそれを本気でいじめだと思ってたのかい?」 「どうかなあ。親切だったり、横暴だったり、訳のわかんないことされてると感じてたとは思うけど、いじめとは思ってなかったんじゃないかな。瞬がアンドロメダ島に発つ時、氷河の奴、さよならも言えずに、歯を食いしばって泣いてたんだぜ。瞬はわかってたと思うけどなー」 「だが、あの時あの二人は ほんの子供だったわけだしな。はっきり約束をしたわけでもないし、憶えていることが迷惑になるかもしれないとか、瞬は考えなくてもいいことを考えていたのかもしれない。瞬は――氷河よりは常識があるだろうし」 「ほんとかね」 今にして思うと、瞬は氷河の好意を信じたくて信じたくて、そのためにわざと拗ねていたのだろう。 あるいは、信じたい気持ちが強すぎて、逆に卑屈になりすぎていたのだ。 いずれにしても瞬は、彼の故国で、生きて帰れば手に入れられるかもしれないと期待していたものを、今日 確かに その手にしたのである。 「あたしは そろそろ島に帰ろうかな。アテナの降臨だの、聖域からの刺客だの、これからも何が起こるかはわからないけど、瞬には仲間がいるから大丈夫そうだし、あたしの魅力がわからないホモなんかに用はないよ」 「ねーちゃん、結構綺麗だし、その美貌はもっと見る目のある男のために使った方がいいぜ。あの二人は駄目。あいつら、特に今は自分たちしか見えてないから」 「それが賢明なようだね。いじめっ子もいなかったみたいだし」 帰るべき場所に瞬が帰り着いたことを確かめられれば、ジュネの渡日の目的は果たされたも同然だった。 瞬が一人きりでないことを確かめられれば、ジュネはそれでよかったのだ。 ジュネの故郷は既にアンドロメダ島になっていた。 もしかしたら瞬もそうなのではないかという不安にとらわれ、師に無理を言って、ジュネはここまでやってきた。 その時には、瞬をアンドロメダ島に連れ戻すつもりだった。 だが、すべては杞憂だったのだ。 瞬の故国には、瞬にとって大切な者たちと瞬を愛している者たちがいる。 帰郷とはそういうものであり、瞬は無事に帰郷を果たしたのだ。 アンドロメダ島と聖域の対立のことを思えば、瞬の帰郷が首尾よく終わったことは、他の誰でもない瞬のために良いことであると思われた。 「あたしの瞬をよろしく頼むよ。あの氷河だけじゃ不安で仕様がない」 星矢と紫龍にそう言って、翌日ジュネは瞬には会わず、瞬が帰郷を果たした国から帰郷していった。 聖域との対立が深刻さを増し、以前の平穏が失われつつあるアンドロメダ島。 だが、確かに彼女の故郷である懐かしい その島へと。 Fin.
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