母から受け継ぐはずだったリビュアの地を我が手に収めたい――というのが、ヒョウガの宿願だった。
母が生まれ育ったリビュアの館の庭、少女だった頃に花を摘んだリビュアの野辺。
母が懐かしそうに語っていた美しい土地。
彼女が、その死の直前まで、もう一度帰りたかったと繰り返していた故郷の地。
亡き母に代わって その願いを我が身で叶えることが、美しく儚かった母から受けた愛に報いる唯一のことなのだという考えは、いつのまにかヒョウガの身に染みついてしまっていたのである。

ヒョウガが父から受け継いだ土地は広い。
面積だけなら、一貴族の所有する領地としては国内随一のものだった。
リビュアの領地は その10分の1にも満たないもので、農作物の収穫量も、当然その広さに比例している。
リビュアの地を手に入れたからといって――あるいは失ったからといって、ヒョウガの家に目覚ましい損益が生じるわけではない。
しかし、ヒョウガにとって、リビュアの地は、麦の収穫量などでは量ることのできない価値を持つ土地だったのだ。

母の死から、まもなく10年。
ヒョウガの願いも空しく、二つの領地の不仲と険悪は、一方の領内に他方の領民が足を踏み入れることもままならない状態で継続されていた。
『ヒョウガはいつか、リビュアとスキュティアの領主になるのよ』
母が繰り返し語っていた その土地を、今は、ヒョウガとは全く血のつながりのない赤の他人が治めている。

現在のリビュアの領主個人は、たまたま国王からリビュアの地を与えられただけで、スキュティアに対して恨みや憎しみを抱いているわけではないはずだった。
それはヒョウガも同様である。
実際ヒョウガは、これまでに幾度か、せめてスキュティアの者がリビュアの地を自由に通れるようにしてほしいという話を、彼に持ちかけようとしてみた。

しかし、リビュアの現領主は宮廷での権謀術数に忙しいらしく、ほとんど領地を顧みない男だった。
着任当初から、納税が予定通りに行なわれてさえいれば、領民には他に何も求めず、他に何も与えないという姿勢を、彼は貫いている。
規模の小さい領地だからこそできるやり方ではあったが、厳しい税を課すことをしないので、領民の人気もそう悪くはなかった。

5年間続いた内乱の名残りともいうべき反乱分子の粛清もほぼ終わり、今は新王の政治も軌道に乗りつつある。
王位奪還に功績のあったリビュアの領主は、もっと広く首都に近い地にほうじられ、まもなく領地換えが行なわれるのでしないかという噂が流れていた。

あとを継ぐのは現領主の身内の者という話だったが、へたに意欲満々でやってくる新領主よりは、領地経営にあまり関心のない現領主の方が話もスムーズに進むのではないか。
話をつけるなら、今が最後の好機――という考えが、ヒョウガの中にはあった。

ヒョウガは、政治的野心は全く持っていなかった。
そんなものを持たなくても、父祖代々の広大な領地は、毎年スキュティア卿の財を増やし続けていたし、ヒョウガはその気になれば国王顔負けの贅沢な暮らしができるだけのものを持っていた。
ヒョウガは、だが、スキュティアの地が毎年平和に美しく実りの時を迎える様を見ることが何より好きで誇らしく、正直なところ、彼はありあまる金を使うことに ほとんど興味を持っていない男だった。

王位継承の内乱騒ぎの時には、両陣営から味方について兵と金を出してほしいと要請があったが、スキュティアの領地は完全に中立で通した。
そんなものに首を突っ込んで畑をあらされるのは御免被りたい――というのが、代々のスキュティア領主の考え方であり価値観だった。
争い事に関わることを避け、戦いを領内に持ち込ませない――それはそれでなかなかに困難なことだったのだが、ヒョウガは父と共にその苦難をなんとか乗り切った。

その父が亡くなり、ヒョウガがスキュティア領主の座に就いたのが3年前。
領地を戦場にしない――それだけのことで、スキュティアの領民たちは彼等の領主を英主と讃えたし、その英主を慕って他の領地からスキュティアにやってくる農民や騎士たちは あとを断たない。
ヒョウガには何の不足も不満もなく、ゆえに野心を抱く必要もなかったのだ。

野心はない。
だが、本来自分のものになるはずだった、母の生まれ育った土地は取り戻したい。
英主と讃えられるスキュティアの領主はまた、そのマザコン振りでも近隣に名を馳せていた。






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