スキュティアの城に戻り、馬を厩舎に入れると、ヒョウガは城の大広間を突っ切って、礼拝室に入った。 そこで祈りを捧げるつもりは毛頭なく――礼拝室には、この城で最も高い望楼に続く階段があったのである。 塔の物見の窓からは、彼の領地の東の地域と、あの丘と、そして、丘の向こうにあるリビュアの領地、リビュアの館を望むことができた。 あの馬車は既にリビュアの館の中に入ってしまったらしく、塔から確かめることはできなかった。 母が生まれ育ち、少女の時期を過ごした城。 今は あの少女のいる城が、金色の麦畑の向こうに佇んでいる。 「リビュアの領地を取り戻す いい方法を思いついた」 セイヤとシリュウが少し遅れて塔にあがってきたのを認めると、ヒョウガは塔の窓を背にして、ゆっくりと二人の旧友を振り返った。 「それはぜひとも拝聴したいな」 ヒョウガの突拍子のない言動に慣れているシリュウは、ヒョウガが思いついたという“いい方法”に全く期待を寄せていない態度で、ヒョウガに水を向けた。 シリュウの声音には、明確に からかいの色が混じっている。 「俺がリビュアの領主の妹君を妻に迎えるというのはどうだ」 「へっ」 ヒョウガの言う“いい方法”に、セイヤがカエルを丸呑みしたように目を丸くする。 ヒョウガの言動が、時折 常識を持った人間には理解し難いものになることは、彼もこれまでに幾度も見聞きしてきたが、さすがにこれは唐突に過ぎる。 一人の人間――否、二人の人間、もしかするとスキュティアとリビュアのすべての民の人生に関わるかもしれないことを、思いつきで決めないでほしいと、正直 セイヤは思った。 が、ヒョウガは、彼のとんでもない思いつきを素晴らしい考えと信じ、疑ってもいないらしい。 「幸い、俺は独り身だし、あの妹御もそのようだ。どう見ても処女だった」 「おい、マザコン! おまえの最愛の母君とリビュア卿の妹御は、綺麗なこと以外、どこも似ているところはないぞ。いいのか」 形式的には主君とはいえ、セイヤとシリュウはヒョウガの幼馴染みで、彼等は独自の家を持ち、サーの称号を許された騎士でもある。 他人の目や耳のないところでは、彼等は、主君であるヒョウガにも遠慮というものをしなかった。 ぞんざいな口調で、二人は、ヒョウガの素晴らしい思いつきを 「しかも、一言二言 言葉を交わしただけで、人となりもわからないのに」 「いい感じの子だったじゃん」 ヒョウガ同様、その時の気分で言いたいことを言うセイヤは、ヒョウガの唐突さに呆れているようではあったが、今のところ、ヒョウガの思いつきに反対でも賛成でもないようだった。 セイヤに比べれば はるかに慎重な 「あの野心家の領主の妹で、ずっと都で暮らしていたというなら、彼女は宮廷にも頻繁に出入りしていただろう。宮廷の脂粉に馴染んでいるんだ。スキュティアは美しい土地だし、おまえは国一番の金持ちだが、夜毎の舞踏会もないところで、宮廷育ちの姫君が耐えられるとは思えない」 「あの子はそんなふうには見えなかった……」 独り言を呟くように反論してから、ヒョウガは家臣の手前、慌てて咳払いでその呟きを消し去った。 「リビュアの領主の妹というところが大事なんだ。結婚なんて、形だけでもいい。スキュティアの者がリビュアの領地を自由に歩きまわれるようになれば、それだけでも領民同士の争いを事前に察知し、防ぐことができる。まもなく収穫の時期。去年の二の舞はごめんだ」 「ああ、あれは胆を冷やしたな」 気軽な態度でヒョウガの思いつきに意見を述べていたセイヤが、にわかに深刻な顔つきになる。 去年のちょうど今頃、領内での最初の春小麦の刈り入れをした日の夜に火事が起こり、収穫したばかりの麦が相当量燃えて灰になるという事件が起きた。 それは小作人の不注意による失火だったのだが、リビュアの者が麦に火をつけたのだという噂が立ち、その噂が あわや暴動という騒ぎにまで発展してしまったのである。 いきりたつ領民たちを鎮めるのに、ヒョウガとスキュティアの騎士たちは散々の苦労をした。 あの日のことを思い出すと、セイヤとシリュウも、ヒョウガの突飛な思いつきに頭から反対する気にはなれなかったのである。 何か手を打たなければならないことは事実で、ヒョウガが妙に事を急ぐのも無理からぬこと――と、彼等は得心しないわけにはいかなかった。 |