聖域から帰国してきた氷河は、氷河として“おかしい”氷河ではなく、常人に比べて“おかしい”平生の氷河に戻っていた。
彼は仲間たちの許に戻るなり、星矢と紫龍から彼等に与えたサングラスとコニャックを奪い返し、『なぜ俺がそんなことをしたのか解せない』と、真顔で訝ることをしてのけたのである。

「クリップなんとかでいた方がよかったんじゃないか。自分は死ぬって意識してた時の方が、氷河はいい奴だったぜ」
氷河は本来の判断力を行使できない病人だったのだからと、しぶしぶ氷河の返還要求に応じた星矢を、
「まあまあ」
と苦笑しながら なだめる紫龍とて、1900年のヴィンテージ表記のコニャックを取り上げられて、真に心穏やか・万々歳という気分では決してなかった。
ただひとり瞬だけが、以前と同じように“普通におかしい”氷河の復活を、心から喜び歓迎している。
聖域から氷河が戻ってきた日以降、瞬の表情は目に見えて明るくなった。

「瞬。機嫌がいいな」
上機嫌の瞬は、それが嫌味だということにすら気付いた様子もない。
浮かぬ顔の星矢に、瞬はにこにこしながら頷き返してきた。
「うん。氷河がね。いつものペースに戻ってくれて――今日は身体がすごく楽なんだ。氷河が聖域に行ってる時には不安でそれどころじゃなかったし……何事も適度なのがいいよね」

瞬のその笑顔が、星矢の悲劇の元凶となった。
あまりに瞬が嬉しそうにしているので、星矢はつい瞬に尋ねてしまったのである。
「なあ、おまえらのいつものペースってどれくらいなんだ? 一晩に何回くらい?」
――と。

人間は、慣れ、そして飽きる動物である。
星矢が慣れてしまえないものは、瞬の涙ながらの訴え、そして、飽かず湧いてくるものは、他人の性生活への興味、だった。
特に聖闘士同士のカップルに関する その手の情報は、一般に市販されている書籍や、WWW上に過剰にあふれている情報の中にも、まず見い出せない貴重なものなのだ。

個人情報の中でも最も個人的かつ秘匿すべき情報について問われた瞬が、少々困惑したように眉をひそめる。
「何回……って。星矢、あれは回数で計るようなものじゃないでしょ」
「でもさ、あれの客観的指標って、時間と回数しかないじゃん。で、回数が多くなれば、その分時間もかかるわけで――教えろよ。おまえの氷河のビョーキのせいで、俺たちが、しなくてもいい心配をするはめになったことを忘れんな」
「それは、ほんとに申し訳なかったと思ってるけど……」
「だろ? で、何回ぐらい?」

愛されることが罪だというのなら話は別だが、そうでないのなら、氷河の病気は決して瞬が責任を負うべきようなことではないはずである。
しかし、星矢はそこを突いて、瞬に答えを要求した。
「……」
瞬の・・氷河のせいで 星矢たちが迷惑を被ったのは紛れもない事実であったし、星矢は、その答えを手に入れるまでテコでも動くつもりがないらしい。
結局 瞬は、彼の感じた罪悪感と星矢の熱意(?)に屈する形で、口を割ってしまったのである。

「だから……普通だよ。氷河は1回にかける時間が長いから……一晩に5回くらいしてるかな。それ以上すると、眠る時間がなくなっちゃうんだ」
「……」
訊かなければよかった――と、星矢は心から後悔したのである。
無論、その気になれば、オリンピック競技のほぼすべての世界記録を退屈しのぎに塗り替えることのできる聖闘士同士のすることである。
週に2回などという可愛いものではないのだろうことは、星矢にも予測はついていた。
しかし――。
しかし、それでも、氷河のアベレージ、瞬が言うところの“敵度な回数”は、星矢を絶句させるに十分なほど非常識な数値だったのである。

「ま……まあ、なんだ。サドの『悪徳の栄え』の人肉嗜食魔ミンスキーのモデルと言われるブレーズ・フェラージュは、45歳の時に、毎晩10回は埒をあけないと眠れないと豪語していたそうだぞ。そういう“一般人”もいるんだから、聖闘士である氷河ならそれくらい普通だろう。受けて立つ瞬の方も聖闘士なんだし、それくらいで普通なんだ。……多分」
無駄な薀蓄の所有量の多い紫龍が、苦しそうにそう言って、驚愕の星矢をなぐさめる。
とは言え、そう言う紫龍自身が、自分の発言は“普通”という概念に対する 甚だしい侮辱だと思っていたのもまた事実だったが。

紫龍はむしろ、星矢以上に心穏やかでいられない自分自身の気持ちを落ち着かせるために、無駄な薀蓄を語ることをしていた。
「もっとすごいのもある。カタロニアで、亭主のあまりのしつこさに辟易して苦情を訴えた細君がいたんだ。その訴えを聞いたアラゴンの女王は、正しい夫婦生活に必要な適度の節制と規則と模範を示すために、正当で必要な限度として“一日6回”という回数を決めた――という記録が、モンテーニュの随想録に記されている。その亭主殿、一日に30回以上イタしていたもんだから、女王の決定に嘆き悲しんだとか」

紫龍の無駄な知識は、残念ながら星矢の憤りに更なる燃料を投じるだけのものだった。
星矢が頭から蒸気を噴出させて、がなり声をあげる。
「その亭主はほんとに病気だったんだろ! 女王サマの決定は、男の生理を知らない女の勝手な言い草! ミーシャだかフェラーリだかって奴も、ただの大ボラ吹きの見えっぱり! だけど、氷河は実際にやってんだよ! しかも毎日! 人間として、こんな恥ずかしいことがあるか !? 」

聖闘士という存在は――否、氷河という男は ありえないほど恥知らずな生き物だと、星矢は強く思った。
たとえ彼が、どれほど深く大きな愛を知る男であっても、それは、彼の非常識なアベレージを許す理由にはなりえない。
星矢は、そんな男の仲間である自分が、心底から恥ずかしくてならなかった。






Fin.






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