「すげー。やたらとやかましい動物園に来たみたいだ」 「アルデバランの『モーモー』やアイオリアの『ウォーン』あたりはまだそれらしいけど、あのムウがあの澄まし顔でンメェンメェ言ってるのは滑稽以外のなにものでもないな」 「我が師のあのトポポポポは何なんだ、いったい!」 「水瓶から、水を他の器に移そうとしている音なんじゃないかな」 「デスマスクのブクブク並みに間抜けだな」 「俺、サガの鳴き声が何なのか わかんなかったんだけど……」 「サガのあれは、鏡文字ならぬ鏡口語だな。おそらく、サガの言葉をレコーダーに録って逆再生すると、普通のギリシャ語なんじゃないか」 「シャカの『ポッポッポッ』は乙女の恥じらいの音らしい。童虎の『グラグラピタッ』は、秤の釣り合いがとれるまでの音だな」 「オトメの恥じらいの音ーっ !? なんだよ、それぇ!」 星矢たちは爆笑した。 文字通り、腹を抱えて笑うことになった――アテナの玉座の真ん前で、その目に涙を浮かべながら。 「星矢も紫龍も氷河も笑っちゃ悪いよ」 「おまえ、よく笑わずにいられるな。さすがこのプロジェクトの発案者は肝が座ってるぜ」 「だ……だって、最初のンメェンメェが衝撃的すぎて、頭が真っ白になっちゃったんだよ。僕だって、彼等の言葉があんな……はとポッポだの トホホだのになるなんて思ってもいなかったんだから」 瞬は責任を感じて笑うどころではなかったのだが、瞬のその発言は星矢たちに新たな笑いをもたらすことになった。 「今日で1週間が経つわ。最初の日は、何が起こったのかと慌てて、それぞれに叫んだり怒鳴ったりしてばかりいたんだけど、昨日あたりから やっと事態打開のために話し合おうとし始めたみたい。時折みんなで集まって、吠え合っているようよ」 「仲間内でなら、努力しようとすることはできるんだな」 「でも、はとポッポと トホホだぜ。どうやって話し合うんだよ。会話にならないだろ」 星矢たちが呑気な笑い声を響かせているアテナ神殿には、先程から鷲座イーグルの魔鈴が控えていた。 彼女はずっと聖域にいて、既に1週間この惨状を目の当たりにしていただけに、もはや はとポッポくらいのことでは くすりと笑うこともしない。 その代わり、ひどく引きつった顔で、彼女は 女神アテナに状況説明を求めてきた。 「アテナ、いったいこれはどういうことなんですか。そろそろ我々に説明してくださってもいでしょう」 星矢が、アテナに代わって、彼の師に答える。 「魔鈴さん。これは、黄金聖闘士たちに欠けているものを教えてやろうっていう、アテナの粋な計らいだぜ。いわば親心」 「黄金聖闘士たちに欠けているもの?」 「そう。それがないと、地上の平和の実現など到底不可能なもの。何よりも大切なもの――よ」 アテナがそう言って顔をあげた時、魔鈴と青銅聖闘士たちの背後には、いつのまにやってきたのか黄金聖闘士たちが勢揃いしていた。 自分たちが口を開くとどういうことになるのかを自覚しているらしく、彼等は一様に唇を固く引き結び沈黙を守っている。 そんな黄金聖闘士たちに、沙織はあえて問いかけた。 「旧約聖書のバベルの塔の話を知っている?」 アテナの問いかけに沈黙で答えるわけにもいかないと考えたのか、あるいは もともと自己主張の激しい性格に突き動かされてのことなのか、黄金聖闘士たちは一斉に口を開いた。 ンメェー、モーモー、がいけんかなんどとれことれそ、ブクブク、ウォーン、ポッポッ、グラピタ、カサコソ、メーメー、トポポ、スイスイ。 表情だけは真剣なので、なおさら 黄金聖闘士たちを情けない顔で一瞥してから、魔鈴は彼等に代わって、人の言葉でアテナの質問に答えた。 「神への畏れを忘れた人間たちが思い上がり、 神のいる天にも届くような高い塔を造ろうとした――という、あれですか」 「ええ。高い技術力を持っていたバベルの人間たちは、天にも届くような高い塔を造ることを決め、一致団結して努力した。その様子を見た神は、それまでたった一つだった彼等の言葉を幾つもの言語に分けてしまう。互いの言葉を理解し合えなくなったバベルの人間たちは、塔の建設を続行できなくなって、世界中に四散していった――」 それゆえ、この世界には多くの異なる言語があふれているのだとされている。 旧約聖書はこのバベルの塔の記事以降、神話的要素を急激に薄れさせ、現実の歴史に対応した記述が増えていくのだ。 「あれは人間の傲慢を戒めるための話とされることが多いけど、私はそうとは考えていないの」 「アテナは、あの話の寓意をどんなものと考えているんです」 黄金聖闘士たちが口を挟まずにいると、会話は至ってスムーズに運ぶ。 黄金聖闘士たちと違って、自分の考えを押しつけることのない魔鈴の会話術を、沙織は好ましく思っていた。 「バベルの町の住人たちには、一つの目的があり、その目的を実現するだけの力もあった。でも、彼等はその目的を成し得なかった。なぜなら彼等は、自他の考えを伝え合う力を奪われてしまったから――。あの話は、確たる目的と、その目的を実現し得る技術があっても、コミュニケーション能力のない集団には何もできないということを言っているのだと思うの」 「コミュニケーション能力……?」 「人と人との理解、せめて理解し合おうとする努力がないと、人は何も成し得ないのだということを、あの話は訴えているのよ」 「黄金聖闘士たちには、そのコミュニケーション能力が欠けていると、アテナはおっしゃるのですか。そのことを彼等に知らしめるために、このようなことをした、と」 黄金聖闘士たちがその場にいて、魔鈴とアテナのやりとりを聞いている。 アテナは、魔鈴ではなく黄金聖闘士たちに向かって、浅く頷いた。 「戦いを避け、平和を実現するためには、敵と語り合い理解し合おうという努力が必要よ。そして、地上に生きるすべての人間に正義と平和の価値を知ってほしかったら、彼等にそれを伝え理解してもらう必要がある。自分たちの考えを彼等に理解してもらうための努力もせず、力で上から押さえつけようとするなんて、言葉を持たない野蛮人のすること。愛を知らない木石と同じだわ」 そんな考えを持つ黄金聖闘士がいることが、アテナを失望させたのだ。 アテナの聖闘士の中で最も高位にある黄金聖闘士が――だからこそ?――愛より力を優先させた考えを、堂々とアテナの前で語ってのけたことが。 「あなた方は、自分の考えを人に伝え、人の考えを知ることのできる術を持っているのだから、まずそのための努力をしてほしいのよ」 これがアテナの酔狂ではなかったこと、アテナには彼女なりの深い考えがあっての動物園開設だったこと――を知り、黄金聖闘士たちは揃って口をつぐみ、沈黙した。 もっとも、自分たちがこの場で何を言ったところで、それが滑稽な鳴き声の羅列にしかならないことを承知している彼等としては、何事かを口にしたくても、それはできるものではなかっただろうけれども。 |