氷河が、瞬の手との“お付き合い”を始めて1ヶ月。
「瞬。おまえと寝たい」
その頃にはもう、いつかは氷河はそう言い出すのだろうと、瞬にも察しがついていた。
氷河は、性的に、瞬の手を求めているのだ。
瞬自身には興味を持っていないにも関わらず。

「……僕の手と、でしょ」
「だめか」
氷河は瞬の言葉を否定せず、ただ瞬の素っ気ない声音を拒絶のそれと受け取ったらしく、落胆したように両の肩を落とした。

心臓に、鋭く長い針を突き刺されたように、瞬の胸が痛む。
瞬は、既に自覚していた。
自分が、あろうことか、母親の手を求めてはいるが、瞬という個人を求めてはいない相手を、好きになってしまっていることを。
なぜなのかは わからない。
もしかしたら、氷河に“お付き合い”を求められる以前から、自分は氷河に対して好意を抱いていたのかもしれない――とも思う。

ならば なおのこと、そしてプライドがあるなら、彼の要求を拒絶すべきだと思うのに、それで氷河との“お付き合い”に終止符が打たれる可能性があることを思うと、瞬はどうしても氷河の望みをきっぱりと退けてしまうことができなかった。
瞬は泣きたい気持ちで、
「いいよ」
と、彼の求めに応じる答えを返したのである。
氷河を好きになってしまっている瞬には、そうすること以外に できることがなかった。


その夜、瞬は、自分から、自分の足で、氷河の部屋を訪れた。
氷河が嬉しそうに、瞬の手を取り、その手の付属物を室内に迎え入れる。
瞬は、そこで、身に着けていたものをすべて脱がされ、彼の寝台に横にされた。
自分が全裸でいることに、瞬は羞恥も覚えなかった。
氷河の目は、どうせ手をしか見ていない。
それが確かめるまでもなく、わかっていたから。

もしかしたら手以外のところにも一瞥くらいはしたのかもしれないが、案の定、氷河は、瞬の裸身の中からまず最初に瞬の手を選び取った。
そして、あの、ひどく性的なキスを繰り返す。
神聖な手を犯す覚悟を済ませたあとなのだろう。
瞬の手への氷河のキスは、今夜は湿ったものだった。
舌で、瞬の指や手の平を舐めてくる。

そんなキスに反応を示すのが、氷河に触れられている手や指ではなく、自分の身体の奥であることに、瞬は絶望的な思いを抱いていた。
手だけを愛したい氷河は、はたして手の持ち主の身体の疼きを治めるために何らかの行動を起こしてくれるのか――。
それすらもわからずに、瞬は、氷河の前に裸身をさらしているのだ。
希望を見い出すための根拠は、この部屋のどこにもない。

瞬の手への氷河の愛撫は、執拗で長かった。
その愛撫の熱が、瞬の手から腕を辿り、肩や首筋、胸に及ぶ。
固く目を閉じて、拷問のような手への愛撫に耐えていた瞬は、氷河の手が自分の胸の上にあることに気付き、違和感のようなものを覚えたのである。

「いくら何でも、胸は似てないでしょう……。肩や腕だって……」
「おまえの手を綺麗に見せているのは、おまえの腕や肩からの線だろう。そして、おまえの手を動かしているのは、この心臓だ。この心臓が止まれば、おまえの手も動かなくなる……彼女と同じに」
「氷河……」

氷河が彼の大切な人を失ったことはわかっている。
その人を追い求める気持ちもわかる。
だから――瞬は、氷河の残酷な仕打ちを責める気にはなれなかった。
その残酷な人間を好きになってしまった自分の方が、愚かで、罪と非を負っているのだ。
瞬は、そう思わざるを得なかった。

「そうだね……。いいよ、好きにして」
消え入るように小さな声で、氷河に言う。
氷河は、嬉しそうに瞬の胸に 彼の熱を帯びた唇を押しつけてきた。
その唇の熱が、舌や指の感触が、やがて瞬の腹や脚にまで及ぶ。

身体の疼きと胸の痛みがないまぜになり、瞬は氷河の下で大きく身悶えた。
全身が熱を帯び、手足から徐々に力が抜けていく。
胸の痛みだけが自分のもので、瞬の他のすべては氷河に支配され、氷河の意図したとおりに動くだけのものになってしまっている。――そう、瞬は感じていた。
瞬の身体のすべての部位は、まるで氷河の奴隷に成り下がってしまったように、氷河の愛撫に一喜一憂し、氷河の言いなりになってしまっている。

氷河の母の手に似た手。
氷河が焦がれてやまない母の心臓。
だから、氷河は、手以外の部分は彼の母とは似ても似つかぬ人間の身体を、愛しげに愛撫する。
どうしてこんな危ない相手を好きになってしまったのか。
瞬は自分がわからなかった。
氷河は、どれほど好きになっても決して報いを返してくれることのない相手だというのに。

それでも氷河の愛撫は優しく、二人の身体が共に熱を帯びていることは心地良く、瞬は、氷河の残酷な愛撫に酔い始めていた。
氷河のそれは乱暴で一人よがりなものに違いないと思っていたのに、ともすれば意識が飛んでしまいそうなほど、彼の愛撫は瞬の身体を軽くし、瞬を――その身体だけでなく、意識までをも――陶然とさせた。






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