伯爵夫人のもてなしは、確かに文句のつけようもなく行き届いたものだった。 ヒョウガに従ってきた者たちは身分に応じた食事と部屋を与えられ、ヒョウガは自分の家来たちの処遇を気にかける必要が全くなかった。 おかげで、晩餐までの時間と晩餐の間中、伯爵夫人のお喋りの相手をさせられることになったが、彼女の話は主に前公爵に嫁ぐ以前のヒョウガの母の思い出話で、それはヒョウガには決して不愉快なものではなかったのである。 晩餐後は、旅の疲れを癒すようにとの配慮からか、意外に早くヒョウガは伯爵夫人から解放された。 ヒョウガのために用意された部屋は、装飾はさほど華美ではなかったが、すべての家具・調度が実用性と美しさを兼ねた最上等のもの。 ある意味 我儘放題に育てられた気まぐれで気難しい大貴族の息子を全く不快にしない伯爵夫人の采配に、ヒョウガは、彼女の趣味の良さだけでなく、その気配りの才をも認めないわけにはいかなかった。 「公爵様のお世話をするようにと、奥様から言いつかってまいりました。ご用はありませんか」 部屋には、一人の召使いが控えていた。 歳の頃は15、6。へたをするともっと下。 はしこそうで、澄んだ目をした清純そうな少女。 伯爵家の小姓のお仕着せを身に着け、男装をしている。 これも伯爵夫人の気遣いなのだとしたら、伯爵夫人は新公爵の性嗜好を察しかねたのかと、ヒョウガは軽く肩をすくませることになったのである。 「伯爵夫人にしては、毛色の変わったのをよこしたな。可愛いことは可愛いが――」 『子供じゃないか』と続けようとした言葉を、ヒョウガの感性が喉の奥に押し戻す。 真面目に観察すると、この小姓は実に美しかった。 瞬時に人目を引くような華やかさはないのだが、見れば見るほど欠点のなさがわかる造作と姿を持っている。 「美しい……な」 世の中には こういう美もあるのかと感じ入りながら、ヒョウガは改めて伯爵夫人の趣味の良さに舌を巻くことになった。 ヒョウガの呟きを聞いて、男装の小姓がほのかに頬を上気させる。 その反応が、ヒョウガには意外だった。 伯爵夫人ほどの趣味の良さと慧眼がなくても、この少女が美しいことは――どれほど美しいのかはともかく、美しいことだけは――誰にでも見てとることができるだろう。 『美しい』などという言葉は飽きるほど聞かされてきただろうに――と、ヒョウガは思ったのである。 「で、おまえは、どういう芸当ができるんだ。どうやって、俺を楽しませてくれる」 ともかく、これは伯爵夫人が遠来の親戚の夜を楽しいものにするために用意してくれた 上等の調度のはずである。 寝台の、自分の隣りに来るように手招きながら、ヒョウガは少女に尋ねた。 が、返事がすぐに返ってこない。 少々不自然なほどの間をおいてから返ってきた答えは、 「シュンといいます。僕は男です」 というものだった。 「……余興としてはなかなか愉快な冗談だが、瞬間芸だな」 ヒョウガはシュンの腕を引き、その細い身体を自分の胸の内に抱きしめた。 途端に、シュンの言葉が芸でも何でもなく――真実を告げただけのものだとわかる。 「本当に男か!」 シュンを抱きしめていたヒョウガの腕から力が抜ける。 苦境を逃れたシュンの唇から、ヒョウガを非難する声が発せられる。 「僕は、そんなことをするために ここに来たのではありません!」 王より強大な力を持つと言われている公爵家の当主を、全く遠慮なく責める小さな小姓に、ヒョウガは目をみはることになった。 「なら、何をするために来たんだ」 至極当然の質問である。 シュンは頬を上気させたまま、無理に抑揚を抑えようと努力しているような口調で、ヒョウガに答えてきた。 「公爵様のお世話をするために」 「だから、何ができるのかと訊いた」 「お着替えを手伝ったり、飲み物を用意したり――」 「お着替えね……」 どう考えても、シュンは シュンが本当に小姓か召使いだというのなら、彼は今日が初仕事の初心者だった。 だが、あの伯爵夫人が、ろくに使えない初心者に彼女の客の世話を任せるだろうか。 これは何かの趣向なのだと察し、ヒョウガは伯爵夫人の遊びに乗ることにしたのである。 「俺はいつも裸で寝る。服を脱がせろ」 「は……はい」 公爵の“お着替え”を手伝うためにここにいると言い張る小姓に、望み通りの仕事を与える。 シュンはいかにも慣れていない手つきで、ヒョウガが身につけているものを取り除く作業に取りかかった。 どこから何をどう見ても、下働きなどしたことがない様子で。 ヒョウガに命じられるまま 彼が身に着けているすべての衣類を取り去ると、シュンは真っ赤になって下を向いてしまった。 貴族の日常生活の世話をし慣れている者なら、まず こんな反応を見せることはない。 貴族は 召使いを自分と同じ人間と認めていないと信じ込んでいるから、彼等は彼等の主人の裸体に いちいち恥じらったりはしないのだ。 実際そういう貴族も多いことは多いのだが、現に人間としての感情を備えている者を本当に人間でないものと思えるわけがない。 少なくともヒョウガは、自分の世話をするために公爵家の城にいる者たちを人間ではないと思ったことはなかった。 卑屈にも思える彼等の考え方は、職務を遂行するために彼等が身につけた職能なのだと、ヒョウガは思っていた。 その職能が、シュンにはない。 その手は白く細くなめらかで、下働きをする者の手ではない。 公爵夫人の悪ふざけに付き合い、シュンをからかうつもりで 彼にその仕事を言いつけたヒョウガは、その時初めて別の可能性に思い当たったのである。 シュンは貴族の指を持っている。 まず間違いなく どこぞの貴族の子弟だろう。 あるいは、この国いちばんの富と権力を持つ公爵に取り入ることを誰かに命じられ、ここに送り込まれてきた者――ということも考えられる。 そうすることによって、シュンとシュンの背後にいる者が北の公爵に害を為そうとしているのか、北の公爵から益を得ようとしているのかの判断は安易に下せないにしても。 が、それにしてはシュンの所作は素朴なほどに不器用で、誘う素振りが皆無に見えるのは奇妙なことである。 しかし、この美しさが誘っているのでなくて何だというのか――。 判断に迷ったヒョウガはしばらく、へたな仕事しかできない――だが美しい――この小姓の様子を見ることにした。 いずれにしても僅か5日間の滞在。 この細腕で何ができるわけでもないだろう――と考えて。 王に肩透かしを食わされてしまったために、為そうとしていたことができなくなった遠来の公爵に与えられた、それが今のところ唯一の刺激と呼べるものだった。 |