『自分を見ていてもつまらん』
ヒョウガと同じ考えを、シュンも持っているようだった。
シュンが彼の主人の騎馬槍試合を見ていなかったのは、単にシュンが戦闘や争い事を嫌っているからなのだと、やがてヒョウガは気付いた。
騎馬槍試合や剣での立ち合いに一向に興味を示さないシュンは、それ以外の時にはいつも彼の仕える主人を見詰めていたのだ。

「俺の顔に何かついているのか」
シュンの視線は険しいものではなく、むしろ ひどく優しいものだったのだが、四六時中他人の視線を受けているのは、さすがに気持ちのいいものではない。
たまにはシュンの目を盗んで呆けた顔くらいしたいのだと、じかに言葉には出さずにシュンを責めたヒョウガに、シュンは無邪気に、
「あ、いえ、綺麗だなあ……と思って」
と、答えてきた。
シュン自身に他意はないのだろう。
しかし、ヒョウガの目には、自分よりシュンの方が はるかに美しい人間に見えていたので、ヒョウガにはそれは皮肉にも聞こえる賛辞だったのである。

「おまえは俺の母に似ている」
シュンの皮肉に対抗して――というわけでもないのだが、伯爵夫人にかけたものと同じカマをシュンにかけてみる。
ヒョウガの母には王室の血が流れていた。
もしかしたらシュンは王家に連なる者なのではないかと、ヒョウガは疑ったのである。
そして、もしヒョウガの疑いが的を射たものであったとしたら、シュンは、まず間違いなくヒョウガの敵陣営に在る者ということになる。

が、シュンはその首を横に振った。
「そんな失礼なことを言ったら、お母様がお怒りになられますよ。ヒョウガは――お母様をお好きでした?」
伯爵夫人といい、シュンといい、彼等は、母親の話を出しさえすれば公爵の追及を逃れることができるとでも思っているのだろうか。
事実がその通りであるだけに、ヒョウガは渋い顔にならざるを得なかった。
シュンがヒョウガの返事を待たずに、ヒョウガ――というより、その向こうに見える彼の母の姿を見詰めているような瞳で、言葉の先を継ぐ。

「ヒョウガのお母様は、王家と公爵家、二つの陣営に分かれ一触即発状態だった国の内乱を避けるため――平和のために、北の公爵家に嫁したんです。美しくてお優しい方で、当然、前の公爵様にもとても愛されて、あなたが生まれた時には、陛下の計らいに心から感謝するという手紙が――」
亡き公爵夫人を慕い、憧憬を抱いているのは、もしかしたらヒョウガや伯爵夫人だけではないのかもしれない。
自分の口がなめらかになりすぎていることに気付いたらしいシュンは、急にその口調を硬いものへと変化させた。
「そういう手紙が送られてきたのだと、奥様に伺いました」

「……」
それは事実だろうかと、ヒョウガはシュンの言に不審を抱いたのである。
そんな手紙の話を、ヒョウガはこの館の“奥様”から聞いたことがなかった。
そんな手紙が本当に存在したのなら、彼女がヒョウガにその話をしないはずがないというのに。

「――政略結婚だ。早くに亡くなったのも、意に染まぬ結婚で心身の健康を害したのだと言う者もいる」
「国の平和と発展に寄与することは、王家に生まれた者の義務です。その務めを果たして、その上、ご自身も幸福になられた。ヒョウガ……公爵様のお母様はとても幸せな方ですよ。きっと、とてもお強くて、前向きで、人を受け入れ愛することを知っている方だったから、幸福になれた女性なのだと思います」
シュンは、ヒョウガの母を知らないはずである。
にも関わらず、シュンは自分の“推察”に絶対の自信を抱いているようだった。

ヒョウガは10歳になる前に母を失った。
微笑んでいる母の顔しか覚えていない。
そして、母と共に過ごした時間よりも長い年月、くちさがない噂を聞かされ続けてきた。
自分の憶えている母の印象と他人の噂話、そのどちらを信じるかと言えば、もちろん自分の記憶している母の姿を信じたい。
しかし、それはあまりにも遠くおぼろげな記憶、幼い子供の記憶にすぎず、ヒョウガには自信をもって母は幸福な人だったのだと言い切ることができなかった。

シュンの言葉は、ヒョウガの信じたいものを裏打ちしてくれる証言である。
信じたいことを信じることができるようになる――それは、ヒョウガには非常に魅力的な誘惑だった。
だからこそ――この誘惑に安易に屈することは危険だと 自らに戒めて、ヒョウガはその判断を後刻にまわすことにしたのである。
代わりに、この国の新しい王を話の俎上にあげる。

「平和のために自分の人生を捧げる、か。新しい王に その覚悟はあるのか」
シュンが気持ちを張り詰めさせたのが、ヒョウガには見てとれた。
やがて、ゆっくりと、シュンが首肯する。
「ある……と思います。王族とはいえ、傍系のかよわい姫君にできたこと。王本人ならなおさら」
抑揚のない声でそう言ってから、シュンは一度きつく唇を引き結んだ。
「その覚悟がないのなら、彼は王になど なるべきではない」

その頼りなげな肩の印象とは対照的に、決然とした口調でシュンが言い切る。
どちらかといえば自分の意思を表に出さない控えめな子だとばかり思っていたのに、そう断言するシュンの瞳と表情は はっとするほど意思的で美しく、ヒョウガは我知らず息を呑むことになったのである。
「俺には務まりそうにないな……」
それは、ヒョウガの本心からの呟きだった。






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