午後の狩りの予定と、都に発つ前の この館での最後の晩餐――をすっぽかし、深夜までシュンに挑み続けていたことは憶えている。
自分がいつシュンを解放し、いつシュンが自分の寝台を抜け出ていったのかということは、ヒョウガは一切憶えていなかった。

翌朝――戴冠式に出席するのなら、午後にはこの館を発たなければならない日の朝、ヒョウガが目覚めると、彼の隣りにシュンの姿はなかった。
こんな時にまで彼の主人の朝の支度の仕事などしなくてもいいのにと、シュンの勤勉に苦りつつ、ヒョウガは続き部屋になっているシュンの控え室の扉に向かってシュンの名を呼んだ。
そうしてヒョウガは、彼の寝台の隣りどころか、伯爵夫人の館のどこにも、シュンの姿がないことを知ることになったのである。

「シュンはどこに行ったんだ!」
自分で雑な身仕舞いをして、伯爵夫人の居間に飛び込む。
夫人はヒョウガの来訪を予期していたものらしく、たかだか2階の東角の部屋から南の棟に移動するだけのことに肩で息をしているヒョウガの様子を見て、眉をひそめた。
狩りの予定だけならともかく、この館の女主人が慎重なほどの気配りでメニューを調えた晩餐までをすっぽかしたヒョウガが、昨日から今朝にかけて、誰と何をしていたのか――を、夫人は承知しているようだった。

「シュンは……あなたに何を言ったの」
いかにも気掛かりを抱えている――といった様子で伯爵夫人がヒョウガに尋ねてくる。
いつも陽気で楽天家な彼女らしからぬ態度に触れることで、ヒョウガの焦燥は少しばかり静まることになった。
シュンが何者であるのか、そして、シュンの居所も、伯爵夫人は知っているのだ。
だからこその憂いを、彼女は抱えているのだろう。
シュンに恋焦がれている男は、完全にシュンを見失ったわけではない。

「自分は王の内偵だと言っていた」
「そう……。戴冠式は明日ですもの。シュンは王宮に戻らなければならないわ」
「なぜ」
「シュンはいつも王と一緒にいたから……こんな大切な時にシュンが側にいないのでは、王も不安がるでしょう」
「シュンは、王の許に行ったのか!」

あれほど濃密で情熱的な時を過ごしたあとに、恋人との語らいの時間も持たずに姿を消さなければならないほど、王の戴冠とは大事なことなのだろうか。
だとしたら――シュンが姿を消したのが、“王の戴冠に立ち会うため”なのであれば、百歩譲って我慢もできるが、もし その理由が“王のため”であったなら、自分からシュンを奪った男を決して許すものかと、ヒョウガは はらわたを煮えくりかえらせた。

「王はどんな男なんだ」
戴冠式の場に行けば、シュンに会える。
それがわかっただけでも、ヒョウガは生き返った思いだった。
二度とシュンに会えないわけではないのだ。
そう自分に言い聞かせ、無理に気持ちを落ち着かせて、ヒョウガは伯爵夫人に尋ねた。
「政治の手腕や、自身の統治にどんな理想を抱いているのかということに関しては、私も、国民やあなたと同じ程度のことしかわからないわ。前王は、その時をまだ先のことと考えて、長期の教育計画を立てていたようで、王子に実際の政治向きのことはまだあまりご指導されていなかったようだし」

「そうじゃない。そんなことはどうでもいいんだ。俺より いい男か。女好きか男好きか」
「あらま」
伯爵夫人が、ふいに素頓狂な声をあげる。
「あなた、本当に本気なの」
ヒョウガに確認を入れてくる伯爵夫人は、つい先程までの憂い顔はどこへやら、妙に嬉しそうだった。
夫人が懸念していたことは、何よりもまず、ヒョウガがシュンを遊びで抱いた(のかもしれない)ということだったらしい。
そうではないことを知って、夫人の口調は徐々に軽快なものになっていった。

「私はね、ご存じの通り、『超』の字がつくくらい美しいもの好きでしょ。本当は、あなたと新王とを比べて、美形の側につこうと思っていたんだけど、選び難くて困っているのよ。本音を言えば、二人に仲良くしてほしいのだけど」
「それくらい いい男なのか」
「え……? ええ、そりゃあもう、誰の心も とろかすような瞳の持ち主よ」
「……」

容姿で自分が人後に落ちることがあるという可能性を――女性や、シュンのように特殊なタイプの人間は別として――ヒョウガは、これまで考えたことがなかった。
伯爵夫人がそうまで言うからには、新王は相当の美丈夫なのだ。
男の価値を外見で計るつもりはなかったが、ヒョウガは夫人の言葉に大いに不愉快になった。

「そっちの方――性嗜好は」
少し考え込む素振りを見せてから、伯爵夫人が、
「……綺麗な男が好きみたいね」
と答えてくる。
ヒョウガは、音がするほどきつく奥歯を噛みしめた。
「シュンは王の――」
肝心のことだと思うのに、その先を口にするのも腹立たしい。
ヒョウガは再度歯ぎしりをした。
昨日と昨夜――確かめようとして、確かめられなかったのだ、ヒョウガは肝心のことを。

シュンは終始、ヒョウガの愛撫に乱れる自分自身を恥ずかしがっていた。
愛撫への反応は素朴なほどに稚拙で、他人の手に愛撫されることに慣れているようにも見えなかった。
子供のように素直な肌は、シュンを潔白な身体の持ち主と思わせるものだったが、そんなことは演じようと思えば、いくらでも演じることのできるものである。
実際には、シュンはヒョウガを楽しませ 満足させることのできる身体の持ち主で、ヒョウガはシュンの稀有な肉体のせいで、ともすれば女を知らぬ童貞並みの早さで終わらされそうな目にも合った。
あれが天性のものか、あるいは経験によって身につけたものなのかということは、男と寝たのはこれが初めてのヒョウガには判断しかねるものだった。
確かめることは――できなかったのだ。

だが、そんなことはもうどうでもよかった。
シュンと王の関係がどれほど親密なものであろうと、シュンと王の間にあるものが友情以上の思いであったとしても、ヒョウガはシュンを自分のものにすると決めていたのだ。
その代償としてならば、王に恭順の意を示してやってもいいとすら思う。
シュンが王と公爵のどちらを好きなのか、それが肝心のことではあるが、昨夜シュンはヒョウガに貫かれるたびに、それが痛みを忘れる呪文だとでも言うかのように、ヒョウガを好きだと繰り返していた。
王と対立する立場にある公爵は、少なくともシュンに嫌われてはいないはずだった。

もしシュンが、王のために――王の敵になるかもしれない男を手なずけるために、その身体をヒョウガに開いたのであったなら――そんなことは考えただけで気が狂いそうになる。
ヒョウガの手には、シュンの肌の感触が残っていた。
ヒョウガの耳には、ヒョウガの名を呼ぶシュンの声が、未だにまとわりついていた。
今シュンが誰のものでも、シュンは北の公爵のものにならなければならないのだ。
でなければ、王より強大な力を持つ公爵はすぐにその手に剣を取ることになり、この国は争乱の巷となるだろう。
シュンはそんなことは決して望んだりしないはずだった。

「都に行けば、シュンに会えるか」
「ええ」
「今すぐに発つ」
昼には私も都に向けて出立するわよ――という伯爵夫人の声は、ヒョウガの耳には全く聞こえていなかった。






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