氷河さんは、私の帰りをじりじりしながら待っていたようでした。
私が城戸邸を辞し、教会付属の伝道会室や事務所のある建物の一隅にある私の私室に戻って2分もしないうちに、氷河さんは私の前に現われました。
だが、彼はすぐには口を開かなかった。

彼は、知りたいことを知るのを怖れているかのようでした。
あるいは、自分の知りたいことを私にはっきりと言葉で告げられることを怖れ、私があの屋敷で見聞きしてきたことを私の様子から探ろうとしているようでもありました。
他人や世界というものに どこか超然としているようだった氷河さんを ここまで臆病な人間にしてしまうとは。
恋とは何と強大な力を持ったものでしょう。
私は、その事実に、心のどこかで 感動すらしていました。

「瞬を――見ましたか」
氷河さんが私に尋ねてきたのは、彼が司祭室にやってきて5分ほどが経ってから。
「ええ、あなたがおっしゃっていた通りに、とても綺麗な――澄んで美しい目をした人でした」
氷河さんが作る沈黙に息苦しささえ覚えていた私は、安堵の息と共に、私がグラード財団総帥の家で見てきたものの様子を彼に知らせてやったのです。
「でも、どこか寂しそうでしたよ。幸福そうには見えなかった」
「……」

長い間を置いてから、氷河さんは、独り言のように、
「――そうですか……」
と呟きました。
いいえ、それは、呟きというより、呻き――だったのかもしれません。
瞬さんが幸福でないのなら、それは自分に責任のあることで、自分の罪でもあると、氷河さんは思っているようでした。

それが氷河さんの罪なのかどうか、事情を知らない私には判断のしようのないことでしたが、瞬さんが寂しいのは、氷河さんが瞬さんの側にいないからだということは、私にも事実のように思えました。
あなたはなぜ瞬さんの側にいてやらないのかと尋ねるのも はばかられ、私はそれ以上 氷河さんに何も言うことはできませんでしたが。

二人は会いたがっている。
互いに互いの側にいたいと思い、側にいてほしいと願っている。
なぜ二人のその願いは叶わないのか。
私は、その事情を知り、二人の間にある障壁を取り除いてやりたいと思ったのです。
氷河さんは言葉にはせず、その瞳だけで瞬さんの名を幾度も繰り返し呼び、まるで泣いているようにも見えました。
その 見えぬ涙を振り払い、見るからに無理をして顔をあげ、氷河さんは私に言いました。

「俺は、降誕祭当日は、表立った場所での手伝いはできません」
「それは困った。いつもより人手が欲しいくらいなのに」
「すみません。誰か代わりの人を手配してください」
「ハリストス協会の方にでも打診してみましょう」
「そうしてもらえると助かります」
氷河さんは申し訳なさそうにそう言って、僅かに顔を伏せました。

事が氷河さんと瞬さんだけのことではなく、教会の運営に関わることとなれば、私にもその理由を知る権利があるかもしれません。
氷河さんの個人的な事情を詮索することに ためらいを覚えなかったと言えば嘘になりますが、私は思い切って氷河さんに尋ねてみました。

「瞬さんに会わないためですか」
「……」
氷河さんは答えませんでした。
私は質問を変えてみました。
「あなたは、瞬さんをお好きだったのではないですか」
氷河さんは、その質問には頷きました。
おそらく氷河さんには、それは、人に『そうではない』と思われることが耐えられない質問だったのでしょう。

「だろうと思いました。瞬さんもでしょう?」
氷河さんが、また私に沈黙を返してくる。
慎重な人間は、軽々しく 自分以外の人間の心を勝手に推し量り断じることはしないものでしょう。
この場合、沈黙は、人として当然の答えだったのかもしれません。
けれど、私は、氷河さんのその沈黙は、それが事実だったからなのだと察しました。
でなければ、瞬さんのあの寂しげな様子に理由がつけられないではありませんか。






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