「瞬、おまえ、具合い悪いのか? 冴えねー顔色してるけど」 「そう? 別にどこも具合いなんか悪くないけど」 万全とは言い難いが、身体に自覚できるほどの不調もない。 星矢の気遣わしげな言葉に、瞬は唇だけで笑みを作って答えた。 「ならいいけどさ」 今の瞬が 平生と同じように元気ではいられない事情を抱えていることを承知していたので、星矢はそれ以上 瞬に食い下がることはしなかった。 二人の会話を続けようとしたのは瞬の方で、瞬は、星矢が陣取っているソファの向かいにある肘掛け椅子に腰をおろすと、少しの間を置いてから、ふと思いついたような口調で、彼の幼馴染み兼戦友に尋ねたのである。 「ねえ、星矢。僕たちって何のために戦ってるの?」 突然 あまりにも基本的すぎる質問を投げかけられた星矢が、一瞬きょとんとした顔になる。 それから彼は、わざと考え込む素振りを見せてから、お約束のフレーズを口にした。 「正義と地上の平和のためじゃなかったっけ?」 星矢の答えは、もちろん、改めて正誤を考察するまでもない正答だった。 この地上に正義と平和を実現するために、アテナの聖闘士たちは戦っている。 そして、その目的の達成を阻もうとする敵の標的にされやすい女神アテナを守るため。 以前なら気軽に頷くことのできていた星矢のその言葉に、だが、今日の瞬は素直に頷くことができなかった。 「でも、正義って絶対的なものじゃないでしょう? それに、平和なんて――争いごとのない世界なんて、本当に実現するのかな」 「瞬」 紫龍が咎めるように瞬の名を呼んだのは、決して瞬の言を否定しようとしてのことではなかっただろう。 彼はただ、瞬が――彼の仲間が――戦う者が陥ってはならない負の思考のスパイラルにはまり込みかけていることを察知し、そうなることを避けようとしただけだった。 楽観主義と厭世主義は真逆と言っていいほどに対照的な生き方であるが、人の心がそのどちらに傾くかということは、単なる視点の相違によるものである。 自分に与えられた可能性を、“希望が実現する可能性”と捉えるか“希望が実現しない可能性”と捉えるか、その違いだけ。 戦う人間、生きている人間は、もちろん前者を選び取っていた方がいい。 「最初から諦めて何の努力もしなかったら、夢は決して実現しないが、少しずつでも努力を続けていれば、それはもしかしたら実現するかもしれないじゃないか」 その可能性を信じられるかどうか。 それだけのことが、人の生き方の方向性を決める。 それだけのことが、その人間の生を大海のように豊かにするか、砂漠のような虚無にするのかを決めるのだ。 たとえ、違う生き方を選んだ二人の人間が辿り着く場所が同じところであったとしても。 「うん……」 それは、瞬とてわかっていた。 瞬はただ、命と長い時間をかけて育んできた夢が実現しなかった時の空しさに自分は耐えられるだろうかと 疑わずにいられないだけだった。 いかにも沈鬱そうで覇気のない瞬の様子を見た星矢が、顔を歪める。 そういう、まさに厭世的・虚無的な空気が、星矢は大嫌いだった。 「おまえ、なに不景気な顔してんだよ。俺たちの夢が絶対に実現しないなんて、誰に言えるんだよ!」 星矢の声は いかにも景気がよさそうで、そして、彼の語る言葉は――それもまた真実だった。 アテナの聖闘士たちの夢が実現しないと決めつけることは、確かに誰にもできない。 「……星矢はいいな。羨ましい……」 瞬が、ひどく力のない笑みを元気な仲間に向ける。 「どういう意味だよ!」 瞬に羨ましがられてしまった星矢は、大いに不満げに口をとがらせた。 単純、楽天、軽薄。 瞬が羨ましがっているのは 自分のそういう性質なのだろうと、星矢は思ったのである。 が、事実は少々違っていた。 「言葉通りだよ。僕も星矢みたいに強くなりたい」 ものごとは、深刻に考えればいいというものではない。 考えて、“良くない”結論に至るくらいなら、考えることをせずに ただ信じている方が、人は結局は賢い選択をしたことになるのだ。 星矢なら、もしその夢が叶うことがなくても、『俺、めちゃくちゃ頑張ったんだぜー』と笑って、夢が叶わなかった現実を受け入れてしまうのかもしれない。 否、そもそも星矢は最後の一瞬まで彼の夢を諦めることをしないだろうから、自分の夢が叶わなかった場面を見ること自体がないのだ。 瞬は、そんな星矢が羨ましく、彼が眩しくてならなかった。 |