アテナの聖闘士たちが帰ってきた“光ある世界”は、春だった。
城戸邸の庭の木々は今年の緑を身にまとい、庭を囲む潅木は雪のように白い無数の花で我が身を飾っている。
光のない冥界から人の世に帰還したアテナの聖闘士たちは太陽の光のありがたみを再認識し、午後のお茶の時間を、庭先に張り出したテラスにあるテーブルに着いて過ごすようになっていた。
夏になれば、暑さの苦手な氷河は陽光を避けるようになるだろうから、この楽しみも今のうちという気持ちもあったかもしれない。

「で、おまえの瞬は清らかじゃなくなったわけ?」
瞬は、花壇を囲む雪柳の垣根を眺め、まるで生まれて初めて花を見る子供のように嬉しそうに微笑している。
そんな瞬を横目で見やってから、星矢は白鳥座の聖闘士に尋ねた。
氷河が、手にしていたカップをソーサーに戻し、微かに首を横に振る。
「瞬は元のままだ。瞬自身の記憶があって、オリジナルの記憶は失われている。ハーデスは、瞬が清らかなものではなくなったから、その身体に留まっていられなくなったのだと思ったらしいが、事実は、奴は2倍になった瞬の力を抑えつけていることができなくなっただけだったろうな」

ハーデスの本体との戦いは熾烈だったが、敵が瞬の姿をしていない分、アテナの聖闘士たちは心置きなく戦うことができた。
そして、アテナの聖闘士たちは彼等の世界に戻ってきたのだ。
光あふれる彼等の世界に。

彼等が帰ってきた人間の世界には、相変わらず ハーデスが忌み嫌った人間の弱さや醜さがあふれていたが、冥府の王がその存在を信じていなかった人の愛や優しさもまた存在していた。
それらのものは確かにあるのだ。
そして、それらのものは強い力を有している。
でなければ、瞬が瞬として再び この庭に立つことはなかったはずなのだから。

「まあ何にしてもよかった。瞬の小宇宙は失われていないし、聖闘士としても戦えるし、その志もアテナの聖闘士のままだ」
氷河が瞬を失わずに済んだように、紫龍と星矢も仲間を失わずに済んだ。
冥府の王との戦いは 死との戦いではなく、結局のところ、人間の生に価値があることを信じる心との戦いだったのではないかと、紫龍は思っていた。
それを信じることができなければ、人の世の安寧と存続のために戦い続けているアテナの聖闘士たちは、その存在意義を失う。
ハーデスの野心を打ち砕き、瞬が今 アテナの聖闘士としてここに在ることを、紫龍はアテナの聖闘士の一人として、心から喜んでいた。

「氷河」
小走りに氷河の側に駆けてきた瞬が、白鳥座の聖闘士の腕に手を絡める。
以前の瞬なら、仲間の目のあるところでそんなことはしなかった。
瞬は元のままだと氷河は言うが、瞬の何かが変わったのは事実である。
瞬が瞬であり続けているのは事実だとしても。
そして、氷河は、瞬の変化を不本意と感じてはいないようだった――むしろ、歓迎しているようだった。

「瞬は……前より少し甘えたがりになったかもしれないな。ああ、それと、前よりセックスが好きになった」
「へっ」
「俺と触れ合っているのが嬉しくてたまらないんだそうだ」
瞬に2倍愛されるようになった幸運な男は星矢たちにそう言うと、瞬に手を引かれて掛けていた椅子から立ち上がった。
そのまま、瞬に、白い花で作られた垣根の方に引かれていく。
そんな二人の後ろ姿を、星矢はあっけにとられた顔で見送ることになったのである。

「エ……エリシオンでは、俺だって死ぬ思いでハーデスと戦ったのにさ! 冥界での戦いで得したのは、結局氷河だけかよ!」
ハーデスとの聖戦を生き延びて大団円を迎えたつもりでいた星矢は、その大団円に大いなる不公平があることに気付いて、ぷっと頬を膨らませた。
「ハーデスの野望の犠牲にならずに済んだ人類も、一応 得をしたということになるんじゃないか?」
気付かずにいた方がよかったことに気付いてしまったらしい星矢をなだめるように、紫龍はそう言ったのだが、そんな言葉などでは星矢は素直になだめられてはくれなかった。

「みんなが受けた恩恵は、得って言わないだろ。それは平等分配」
「まあ、いいじゃないか」
すっかり むくれてしまった星矢に、紫龍が苦笑を向ける。
こんなふうに、天馬座の聖闘士が光の中でむくれていられるのも、氷河が瞬を信じ、瞬がもう一人の瞬を信じ、アテナとアテナの聖闘士たちが人間の生の価値を信じ抜くことができたからこそのことなのだ。
その事実を知ることのできる場所にいられたことこそが、冥府の王との戦いを戦ったことでアテナの聖闘士が特別に被った恩恵であり、大いなる幸運だったといえるだろう。

「……清らかさというものは、汚れを知らないということではないんだな」
澄んだ目をして氷河を見詰めている瞬を見て、紫龍は呟いた。
ならば、すべての人間はまだ あらゆる可能性を有している――すべての人間はまだ、光あふれる世界の光を守り続けるための力を その身に備えているのだ と信じて。






Fin.






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