「世のお嬢様方や奥様方はこういうのが好きなのかよ」
ネットオークションで10万以下の値がつくことはないという非売品DVDを鑑賞し終えた星矢が、開口一番に告げたセリフがそれだった。
星矢には、氷河のどアップの流し目のどこがどのように良いものなのか、全く理解できなかったのである。
所詮は毎日飽きるほど見ている男の顔。
多少アップになったからといって、そのインパクトが増すわけもない。

「いや、これは、なかなか計算された技だと思うぞ。睨んでいると感じるほどの睥睨は、性的欲望をも含んだ激しい情熱を表わし、すぐに その目を伏せることで、気弱さ・思い切れなさを表現し、母性本能を刺激する。最終的に横を向くことで、こちらから働きかけなければならないという消費者意識を煽る――という結果を生むわけだ」
「へーそんな大層なもんなんだー……」

紫龍に解説されても、わからないものはわからない。
星矢の声は、これ以上ないほど見事な棒読みモードだった。
何しろ、その計算され尽くした必殺技は、本来のターゲットである瞬には全く無効の間抜け技だということを、星矢は知っているのだ。
当然、ありがたみも何もあったものではない。
星矢は、理解不能という顔をCF解説者に向けることしかできなかった。

――が、その非売品DVDを観ることによって、星矢にわかったことが一つだけあったのである。
戦いを生業とする聖闘士の本能で、星矢は、氷河の必殺技の弱点を一度見ただけで瞬時に見抜いてしまったのだった。
「この技の威力の程はわかんねーけどさ、この技が瞬に利かない訳は俺にもわかったぞ」
「なに?」
「光速の拳を見切れる瞬にはさ、おまえが瞬を睨んでいる最初の2秒間が1時間くらいに感じられるんじゃねーのか?」
「2秒が1時間……?」

星矢の指摘の意味を、氷河より先に紫龍の方が理解する。
彼は大きく頷いて、白鳥座の聖闘士の流し目が、彼のシベリア仕込みの足封じ技以上に危険かつ有害な技である事実を、氷河に語ることになった。
「1時間も睨みつけられていたのでは、瞬も、おまえに嫌われているとまでは思わないにしても、好かれているとは思いにくいだろうな」
「……」

紫龍の解説が氷河にもたらした衝撃は並大抵のものではなかった。
尋常でない衝撃を、氷河は自覚することになった。
何ということだろう。
瞬がアテナの聖闘士であることに、よもやこんな弊害があろうとは。
そして、同じ聖闘士でありながら、今の今までその事実に気付かずにいた己れの愚鈍。
氷河は、自分の愚かさ浅はかさに、オーロラ・エクスキューションを自分に向けて放ったような錯覚を覚えることになってしまったのである。

「じゃ……じゃあ、俺はいったいどうすればよかったんだ!」
氷河の悲痛な雄叫びが、城戸邸ラウンジに木霊する。
こんなことになっても、氷河の目的はただ一つ、瞬の好意の獲得だけだったのだ。
テレビの画面を通してなら、あの必殺技が瞬に力を及ぼすこともあるかもしれないと、藁にもすがる思いで沙織の命令に従ったというのに、彼のささやかな希望は、いっそ見事なほど鮮やかに、今 確かに打ち砕かれてしまった。
今の彼にクールでいろと言うのは、南極で生まれ育ったペンギンに火吹き怪獣ジラースを倒せと命じることと同じくらい無理無謀なことだった。

「俺は瞬を嫌ってなどいない! むしろ、瞬しか好きじゃない!」
「ひどいわっ。氷河は俺のことは好きじゃないって言うのっ !? おんなじアテナの聖闘士なのにっ!」
「気持ちの悪い冗談はやめろ!」
平常心でいても我慢ならない種類の星矢の冗談に、氷河が、南極のすべての氷が炎上爆発したような怒声を返す。
地球の自然環境保護のためと、それより何より その手のセリフを言う自分自身が気色悪かったので、星矢はその冗談の継続を早々に断念した。

「流し目の技を磨くより、もっと普通のアプローチを試みればよかったのに、なぜおまえはそうしなかったんだ。一緒にどこかに遊びに行くとか、食事に誘うとか、プレゼントを贈るとか、もっと普通のやり方がいくらでもあるだろう。常套手段というものは、それが実際に有効だから廃れないものなのだと、俺は思うぞ」
氷河の実に見事な空回り振りに、紫龍はさすがに同情を覚えたらしい。
彼は、まさに常套句ともいえる真っ当至極な助言を、白鳥座の聖闘士に垂れてくれた。

紫龍の真っ当すぎる助言を聞いた氷河が、仲間たちの前でがっくりと肩を落とす。
星矢の気持ちの悪い冗談に比べれば、紫龍の助言は 彼には100万倍もありがたいものだった。
が、実は氷河は、その手の常套手段はすべて試みたあとだったのだ。
氷河は、毎日 瞬と一緒に(城戸邸ダイニングルームで)食事をし、毎日一緒に散歩に行き、瞬の誕生日にも瞬の誕生日でない日にも花を贈るという行為をこの1年間続けてきたのである。
その1年間を経た上での今日この日この時だったのだ。

「おまえ、そういう相手にはなりえない男だって、瞬に認識されてるんじゃねーの?」
残酷なまでに客観的かつ現実的かつ のんびりした調子の星矢のぼやきが、もはや復活は不可能なほどに強大な力をもって氷河を打ちのめす。
考えまい、その可能性だけは考えるまいと、必死に自分に言い聞かせて続けてきたことを、当事者ではない気軽さで、星矢はあっさり言葉にしてくれたのだ。
氷河は、怒るに怒れず、泣くにも泣けず、ひたすらみじめな気持ちで拳を握りしめることしかできなかった――。






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