「というわけで――。『好きだ』って言われて『僕も』って答えたんだから、瞬がそう思ったって、全然おかしくはないよな。瞬は間違ってない」 そう言いながら氷河を見る星矢の目は、完全に“世界一の大馬鹿者”を見る目だった。 氷河としては、立場上、その目に反論しないわけにはいかなかったのである。 「し……しかしだなっ! 自分の付き合ってる相手が女たらしの真似をするのを見たら、普通は、腹を立てるとか、嫉妬するとか、危機感を感じるとかするもんだろう! だが瞬は、一度も俺にそんな素振りを見せたことがない。逆に他の女に流し目を使うのを奨励して――それで付き合ってるも何も――」 「瞬はおまえを信じていたんだろう」 氷河の反論を、紫龍が、抑揚のない、だがきっぱりした声と言葉で遮る。 彼は、会話の相手を喜ばせようという気遣いをもって彼の意見を口にすることはない。 ゆえに、彼の言葉は辛辣で、しかも大抵の場合、それは限りなく真実に近いものなのだった。 「いわゆる認識のずれ、感情のすれ違いというやつだ。おまえの流し目を誘惑や挑発ととる女もいれば、それを睥睨と感じる瞬もいる。一つの事象や言葉に関して、人によって判断や理解が違っているなんてことは――まあ、よくあることだな」 「よくあることで済まされてたまるかーっ!」 紫龍の言が事実だったとしても、である。 否、それが事実であるなら なおさら、氷河はこの事態を“よくあること”の一言で片付けるわけにはいかなかった。 これは“よくあること”と笑って済ませていいことではない。 なにしろ、その誤解――“よくあること”――には、彼の一世一代の恋の成否がかかっているのだ。 「でもさ、おまえだって、毎日デートしてる瞬が自分を好きでいてくれるなんて思ってなかったんだろ」 会話の相手に気を遣わない星矢がまた、紫龍に負けず劣らず辛辣に鋭いところを突いてくる。 氷河はぎくりと顔を強張らせた。 「いい歳した若いモンが、どっかの老夫婦みたいに毎日連れ立って公園に散歩なんてさ、好意がなかったら続かない日課だぜ。俺なら、氷河と一緒に散歩なんて、並んで3歩歩くのもごめんだ」 「……」 言われてみればその通りである。 星矢に『一緒に散歩に行こう』と誘われたとしたら――氷河は星矢と連れだって1歩歩くのも馬鹿らしいと思うに違いなかった。 だが瞬は、『散歩に行こう』という氷河の誘いに、毎日楽しそうに、それこそ尻尾があったなら千切れるほど振っているに違いないと確信できるほど嬉しそうな目をして、氷河の隣りに飛んできてくれていたのだ。 その意味を、なぜ自分はこれまで一度も考えてみたことがなかったのか――。 氷河は、自分で自分という男が理解できなかった。 そんな氷河に、彼の仲間たちはどこまでも辛辣である。 「惜しかったな、氷河。多分、1時間前なら、瞬はおまえに押し倒されても喜んでたかもしれないけど……今はもう駄目だ。今の瞬はおまえへの不信感でいっぱいで、おまけに、かなり卑屈になってるみたいだった」 「それはそうだろう。自信というものは、自分が誰かに愛されているという確信から生まれてくるものだ。自分が誰かに愛されている、好かれていると思うことのできる状態にあるからこそ、人は自分に自信を持つことができ、他人を愛することや信じることができるようになる。瞬のその自信を、おまえは その手で木っ端微塵に粉砕してしまったんだからな」 「それ以前にさ、人に『好きだ』って言っときながら、それをすっかり忘れていた いい加減な男だろ。今の瞬にとって、氷河は」 「最低最悪の無責任男だな」 氷河の仲間たちはいつも、会話の相手を喜ばせようとして言葉を選ぶことはない。 だからこそ彼等の言葉には嘘も作為もなく――要するに、彼等の口にする言葉は、大抵の場合“事実”なのだ。 「……」 星矢と紫龍が言い募る“事実”に、氷河は、思い切り、これ以上ないほど徹底的かつ完璧に打ちのめされることになったのである。 春なのに、氷河の生きている世界は寒い。 まるで氷の世界にいるように、地球温暖化問題も大掛かりな冗談としか思えないほどに、氷河は今 空しく寒い世界にいた。 事実と真実と現実に気付いてからでは遅すぎること――というものが、この世の中にはあるのだ。 人は冷静かつ客観的に自分の生きている世界を見詰め、理解し、そして、迅速かつ情熱的に行動を起こさなければならない。 そうしなければ手遅れになってしまうのである。 恋も 地球温暖化対策も。 Fin.
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