氷河が使っていたという部屋は、広い割りに必要最小限の家具しかない殺風景な部屋だった。
掃除は行き届いていて、そこが死んだ人間の部屋だという印象はどこにもない。
死んだ男は、余計なものは置かない主義だったんだろう。
まあ、どんな殺風景な部屋でも、このとびきりの美少女(失礼)がいたら、それだけで、そこは殺風景な部屋ではなくなるだろうからな。
氷河はこの部屋に花を飾る必要も感じたことはなかったはずだ。

「氷河……」
“氷河”の部屋で二人きりになると、瞬は思い詰めた目をして、俺を見上げ、見詰めてきた。
正直、来た来た来た! と俺は思ったんだ。
俺はやっと、城戸沙織に依頼された仕事――死んだオトコの代役という楽しい仕事に取りかかれる、と。

瞬が、俺の胸に、その髪と肩と身体を寄り添わせてくる。
そして、俺の胸の中で、小さな声で呟くように瞬は言った。
「寂しかった」

おかしな話で――それは期待していた通りの展開だったのに――瞬があんまり自然に躊躇なく俺にしがみついてくるから、瞬は恋人を亡くしたショックで正気を失っているんじゃないかと、俺は本気で心配になってきてしまったんだ。
瞬が本当に俺を氷河だと思っているのなら、それはまずいだろう。どう考えても。

「瞬……さん」
「ごめんなさい、今だけ氷河の振りしてて」
俺の胸に頬を押し当てて、瞬が小さく――本当にすまなそうに小さな声で囁く。
瞬は、俺が彼の氷河でないことをちゃんとわかっているらしい。

自分でも自分をちゃらんぽらんな生き方をしている男だと自覚はしているが、俺は一度引き受けた仕事には責任を果たす男だ。
だから俺は、今回ももちろん ちゃんと氷河の振りをして、瞬の背中に手をまわし、その身体を抱きしめてやった。
落胆と安堵と――いっそ この抱き心地のいい美少女が俺を本当に氷河だと思っていてくれればいいのにと、ついさっき感じていた懸念とは全く逆のことを考えながら。

あの星矢の目がある限り、さすがに瞬と寝るのは無理だろう。
だが、まあ、それならそれで、女の子と軽く付き合っているんだと思えばいい。
それで俺の懐には1年は遊んで暮らせるだけの金が入る。
俺が金のためにここにいて、金のために不幸な恋人の片割れを抱きしめてやっていることを、瞬は知っているんだろうか。

ひとしきり“氷河”の温もりに浸ると、瞬はゆっくりと俺から離れた。
じっと切なげな眼差しで俺を見詰め、やがて瞬は“氷河”の部屋を出ていった。
「ありがとう」
どう解釈すればいいのかを迷う一言を、俺に残して。






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