翌日ヒョウガがシュンの家を再訪問した時、シュンはまだ自室に閉じこもったままだった。
客間に現われた この家の令嬢の姿を認めるなり、ヒョウガは自分の疑念が そう的外れなものではなかったことを知ったのである。
「エスメラルダ嬢、あなたが」
はじめまして・・・・・・
エスメラルダの再会・・の挨拶が、ヒョウガに確信を与えた。

二人は同じ顔をしていたが、印象が全く違っていた。
顔の造作はほとんど変わらないというのに、美しさの種類も違う。
物腰も、シュンの機敏に比して、エスメラルダの方はおっとりしているように見える。
本物のエスメラルダはどこか寂しげな風情をしていて、彼女よりもシュンの方が生き生きと輝いている――と、ヒョウガは思った。

「お父上が俺を『息子の恩人』と言ったので、もしかしたらと思っていたんですが」
得心できたように頷くヒョウガに、エスメラルダは気遣わしげな眼差しを向けて尋ねた。
「あなたなら ご存じでしょうか。シュンが昨日から部屋に閉じこもって出てきてくれない訳を」
「昨日は、俺にとってはとても楽しい一日だったが――。シュンは、あなたとは別に実在する人間なんですね?」

念を押すヒョウガに、エスメラルダが頷く。
ヒョウガの口調や表情からは、昨日二人の間に何らかの険悪な事態が生じたわけではないらしいことが見てとれた。
となれば、シュンは勝手に一人で何かに傷付き落ち込んでいるということになる。
人がそんなふうに一人よがりの傷心に囚われる最も大きな可能性――に、エスメラルダは思いを馳せた。
そういう心境になった経験は、エスメラルダにもあった。
自分は自分の好きな人に嫌われているのではないかという不安に囚われた時、人はそんなふうになる――。
おそらく、そういうことなのだ。

「シュンは従弟で――私の弟のようなものです。財産目当ての不埒な求婚者を撃退するのだと言って、私の振りをして、あなたにわざと礼を失した振舞いを見せたりしましたが、本当はとても礼儀正しくて、どちらかといえば大人しい子なんですよ」
「……」
あの大胆さを見せられた翌日である。
エスメラルダの言葉は、ヒョウガには にわかには信じ難いものだった。
もちろん、『大人しい』『大胆』といった評価は相対的なものであり 絶対的な尺度のあるものではないので、ヒョウガはエスメラルダの発言に異を唱えるようなことはしなかったが。

シュンがどういう人間であるのかは、己れの目や耳で見聞きしたことで自分が判断を下せばいい。
そんなことよりも――ヒョウガには、それとは別の気掛かりがあったのだ。
エスメラルダをしばし無言で観察してから、ヒョウガはその気掛かりを口にした。
「シュンが好きな人というのは、もしかしてあなたなのか? だから、本当は礼儀正しくて大人しいはずのシュンが、あんな大胆な真似を――」

ヒョウガの“気掛かり”を聞いたエスメラルダは、つい、その唇から笑みをこぼれさせてしまったのである。
部屋に閉じこもっていないだけで、シュンの落ち込みの元凶である人物もまた、シュンと同じような懸念に囚われている。
その事実がエスメラルダを微笑ましい気持ちにした。
この二人の恋を不自然と感じる心は、不思議とエスメラルダの胸中には生まれてこなかった。

「嫌われてはいないと思いますけど――シュンが私に向ける好意は、あなたがご心配されているような種類のものではないと思います」
そう言って、エスメラルダがにっこりと微笑む。
本当に二人は似ている――と、ヒョウガは思った。
だが、全く似ていない――とも思う。
それは、しかし、当然のことだったろう。
同じ顔を持った二人。
だが、その一方は彼が恋している相手であり、もう一方は恋をしていない相手、なのだから。

「シュンは何より家族を大切に思っているんです。特にお兄さんが好きで――私もなんですけど」
「ああ」
そういう事情があったのかと、納得すると同時に安堵する。
「とても優しくて いい子なんです。賢い子でもあるのだけど、優しさの方が勝ってしまって、好きな人のためには大胆なこともしてしまうの。でも、恋なんてしたことはない子。シュンの様子がおかしくなったのは、あなたに会ってからです。つらいことがあっても、部屋に閉じこもって家族に心配をかけるようなことは絶対にしない子だったのに。いくら好きな人のためだといっても、暴れ馬の前に飛び出すなんて無茶なことをするような子でもなかったんですよ」

あなたはシュンにとって特別な人なのだと、婉曲的に知らせてくれるシュンの姉に、ヒョウガは好意を持ち、そして素直に感謝した。
「ありがとう。事情がわかって すっきりしました。シュンの好きな人というのがずっと気になっていたんです」
他に考えなければならないことはいくらでもあるというのに、昨夜ヒョウガを眠らせてくれなかったのは、『シュンの好きな人』が誰なのかという、その一事だったのだ。






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