「あ……星矢! 紫龍!」
帰還する聖闘士や兵たちの中に、瞬は、旧友である星矢と紫龍の姿を認めた。
ほっとしたのも束の間、彼等と共に戦いに出たはずの氷河の姿がそこにないことに気付いて蒼白になる。
「氷河は…… !? まさか……」

瞬が何を恐れているのかに気付いた星矢が、慌てて大きく首を横に振る。
星矢は上腕が大きく切れていて、右腕が使えない状態になっていた。
戦場では縫うこともできなかったのだろう。
アテナ神殿の大広間には重い怪我を負った者の治療をするための人員と設備が用意されている。
その準備をしたのは他ならぬ瞬自身だった。
星矢を早くそこに連れていかなければならないと思うのに、瞬はそのまま何も聞かずに星矢を医師の許に急がせることができなかった。

「大丈夫。あいつが、おまえを残して死んだりするわけないだろ。ちゃんと生きてるよ」
星矢が、存外に元気そうな声で告げてくる。
彼は、瞬がすぐに医師の許に行くことを勧めても、他の者たちの治療が済んでからでいいと言って、その勧めに従うことはしなかったろう。

「じゃあ、怪我が重くて動けなかったとか……」
「いや、あいつは多分、この戦いで 怪我らしい怪我を一つもしなかった唯一の聖闘士だ」
瞬にそう告げた紫龍は、肩にひどい怪我を負っているらしい。
龍座の聖衣の肩と腕のパーツは、聖衣の持ち主自身のものとおぼしき血がこびりつき、どす黒い色で覆われていた。

「なら、なぜ……」
氷河は生きている――怪我一つしていない――と仲間たちに断言されても、瞬の不安は消えなかった。
もし彼等の言うことが事実なら、氷河は誰よりも早く この聖域に帰ってきているはずなのだ。
だというのに、今、氷河の姿はここにはないではないか。
どうあっても氷河の無事を信じることができずにいる心配性の仲間に苦笑いをして、星矢はもう一度、『氷河が、おまえを残して死んだりするわけないだろ』という言葉を繰り返した。

「知ってると思うけど、この戦いで俺たちが苦戦したのは、神々の戦いの中に普通の人間が混じってるせいだった。――というより、今度の戦いは、人間同士が起こした戦争の中に神々の戦いが紛れ込んだみたいなものだった。で、氷河は俺たちの戦いには無関係なスペイン軍を戦場から引き離すための囮隊の指揮を取ることになったんだ」
「ロクロアの戦場で――20名ほどの手勢で 1万5千のスペイン軍を引きつける難しい作戦だった。20人の手勢といってもその中に聖闘士は割けないからな、実質氷河が一人で1万5千のスペイン軍の相手をしたことになる」
「1万5千……」

いくら聖闘士といえど、それは多勢に無勢と言っていい数である。
その上、相手は戦って傷付けることの許されていない“一般の”人間たち。
そんな無茶な作戦を、なぜ軍の指揮官である教皇が採用したのかと、瞬は憤りを禁じ得なかった。
理由はわかっていたのだが。
そんな無茶な作戦を思いついたのが氷河自身だったからに決まっている。

「あいつの奮闘のおかげで、俺たちは最悪の膠着状態から脱することができたんだ。俺たちは俺たちの本当の敵をいぶり出すことができて、俺たちの戦いを終わらせることができた。それで何かアテナの神託みたいなのがあったらしくて――教皇が褒美にエレフシスにある城砦を一つ、氷河に与えたんだよ。氷河はそこにいる」
「本当に……生きてるんだね?」
恐る恐る瞬が念を押すと、その時の戦場での高揚感を思い出したのか、星矢は少々興奮気味に大きく頷いた。

「すごかったぜー。あんな無茶して、俺、絶対氷河は死ぬと思った」
「星矢!」
口をすべらせた星矢を、紫龍が鋭い声でたしなめる。
強張った瞬の表情に気付いて、星矢は急いで その表情を引き締めた。
「氷河はほんとに無事だから」
「うん……」

紫龍が仲間に嘘をつくはずがないし、星矢が嘘をつけるはずもない。
氷河が生きていて、城砦を一つ任されたというのは事実なのだろう。
だが、だとしても、なぜ彼は、彼の身を案じている者に一度は無事な姿を見せるために聖域に帰ってこないのか。
瞬は、やはり合点がいかなかった。

氷河は、瞬の気を引くためになら教皇の命令も無視してのける困った聖闘士だった。
瞬と一緒にいるために教皇に呼び出しを受けていたことを故意に忘れ、飼い主に躾を受ける犬のように教皇の叱責を受けたのも一度や二度のことではない。
まして、ロクロアやドイツ国内にある砦というのならともかく、エレフシスの城砦といえば聖域の目と鼻の先、聖闘士の脚で駆ければ数十分とかからない場所にある砦だというのに。

「そう……」
共に行きたかったと、瞬は思った。
同じ戦場に立つことが許されていたならば、無謀な作戦に臨もうとする氷河の側で、彼の身を守るくらいのことは、アンドロメダ座の聖闘士にもできたはずだと思う。
実際、氷河が戦場に向かう日、瞬は共に行きたいと駄々をこねて氷河を困らせたのだ。

心配顔の瞬をその青い瞳に映して、氷河は笑いながら言った。
「ちゃんと生きて帰ってくる。そんな不安そうな顔をするな」
「アテナのいない聖域なんて、聖闘士を残す必要もないのに、教皇は何を考えているの」
「教皇は、おまえの許に帰るために、白鳥座の聖闘士が奮闘することを見越しているのかもしれない。このまま永遠におまえと別れることになったら――いや、俺は未練で死ねないが」
「氷河……」
不吉な例え話に眉を曇らせた瞬を見て、氷河は困ったように肩をすくめた。

「帰ってきたら、おまえを俺のものにする。そのために意地でも生きて帰ってくる。……いいか?」
こんな時に冗談を言っているのかと、瞬は腹立たしく思ったのだが、氷河は真顔だった。
そんなことで氷河が必ず生きて帰ってきてくれるのならと、瞬は彼に頷いたのである。
「約束したぞ。あとで、あれは俺を奮起させるための方便だったと言って逃げるなよ」
「氷河が生きて帰ってきてくれるのなら、僕は何だってするよ!」

瞬の確約を得て、氷河はぱっと表情を明るくした。
そうして彼は、意気揚々と笑って戦場に向かったのだ。
そんな“ご褒美”が待っているのに、氷河が聖域に帰ってこないのは不自然なのである。
誰に何を言われても、瞬は胸中の不安を拭い去れなかった。






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