「氷河の側にいる権利を手に入れたかったんだ。氷河の側にいても誰にも何も言われない権利を」
騎士になった理由、そのために特訓した剣術、作法。
全く色気のない話だというのに、瞬に聞かされるそれらの話は、いちいち氷河を感動させた。
いくら愛しても愛し足りないという思いに突き動かされて、もちろん その夜、氷河はたっぷりと念入りに瞬を愛撫した。

そして、瞬にここまで健気なことをされて、叔父の言いなりになどなれるわけがないという決意を、氷河は新たにしたのである。
瞬の乱れた髪を整え、その唇に何十回目かのキスをしてから、その決意を瞬に告げると、瞬はその言葉に縦にとも横にともなく首を振った。
氷河の裸の胸の、ちょうど心臓の上に指を置いて、瞬が話し始める。

「僕、星矢や紫龍だけでなく、何人もの騎士団の人たちに特訓に手を貸してもらったの。騎士団には、団の外に主君を求めず、騎士団に忠誠を誓ってずっとあそこにいる人たちが多くいて、その中に、旦那様のことを知っている人がいた」
「ああ、叔父も若い頃、1年くらいあそこにいたそうだな」
「旦那様は……氷河のお母様を好きだったんだって」
「なに?」
ほぼ1ヶ月間 瞬に触れることができずにいたせいもあって、氷河は、瞬に触れ、瞬に触れてもらえることの幸福に酔いきっていた。
そこに突然、思いがけない話を聞かされて、瞬の髪に絡めていた氷河の指の動きが止まる。

「氷河のお祖父様も、最初はそのつもりだったらしいよ。旦那様と氷河のお母様を結婚させて、男爵家を継がせる。でも、その前に、氷河のお母様は国王に見初められて、宮廷に連れて行かれてしまった」
「あの叔父が……」
到底 恋などできそうにない あの堅物が恋をしたことがあるというだけでも驚きだというのに、その相手が実の母。
氷河は、一瞬、頭の中が真っ白になってしまったのである。
にわかには信じ難いこと――だった。

「大切な人を奪われて、用が済むと紙くずみたいに捨てられて――事実はどうだったのか知らないけど、旦那様はそう感じた――旦那様には そう見えた。旦那様は、何もできない自分が悔しくて、つらくて、悲しかったんじゃないのかな。氷河のお父様が亡くなって、このお屋敷に戻ってきた氷河のお母様を黙ってずっと見詰め続けて――。身分の壁に誰よりもつらい思いをしたのは旦那様だったんだと思う。相手が国王では、誰も逆らえないから……」

「……」
以前、氷河が、『なぜ妻を娶らないのか』と尋ねた時、カミュは、『男爵家には既に跡継ぎがいるんだから、その必要はない』とぶっきらぼうに答えた。
憎い男の息子を、それでもカミュは愛し慈しみ続けてくれた。
カミュが『跡継ぎ』と呼ぶ彼の甥は、彼から愛する女性を奪った男の息子である。
恋という感情がどういうものであるのかを身に染みて知っているだけに、氷河は、叔父が甥に注いでくれた愛情の意味と強さと深さが、痛いほどにわかった。
憎んでしまった方が、どれだけ楽だったかしれないというのに。

「氷河はね、旦那様にとって大切な人の忘れ形見なの。氷河を王位に就けようとしているのも、自分の野心のためにしてるのじゃないと思うよ。むしろ――」
恋のために。
叶わなかった恋のために――彼は、そうすることで、彼の恋を成就させようとしているのかもしれない。
そして、自由な恋が許される身分のない世界の実現を誰よりも望んでいたのはカミュ自身だったのかもしれない。
彼は、王権によって阻まれた自らの恋を哀れむが故に、氷河を王位に就けることに執着しているのかもしれなかった。

「わからないではないが、それは間違っている。本当に好きなのなら、すべてを捨ててさらっていくくらいのことをすればよかったんだ。今更俺を王に仕立てあげてみたところで、世界は何も変わらない」
「氷河なら そうするでしょう。でも、旦那様や僕みたいに、制度の壁を乗り越える勇気のない人間は、そんな社会の中でもがくことしかできないんだよ」
「おまえは、その壁を乗り越えた」
「それは――だって、僕は氷河が……」

氷河はその先の言葉を聞きたかったのだが、瞬は頬を上気させたきり、続く言葉を口にしてはくれなかった。
代わりに、その白い腕を氷河の首に絡めてくる。
「氷河の側にいるために僕がしたことは、旦那様を傷付けてしまったかもしれない……」

騎士になることと、王に逆らうこと。
もちろん、この二つの行為の間には大きな差異がある。
一方は成し遂げれば賞賛されること。
もう一方は、罪に問われ永遠に裏切り者の烙印を押されることである。
だが、それらは、瞬とカミュにとっては等しく“自らの恋を叶えるために為さねばならないこと”だった。
瞬は恋のためにそれをし、カミュにはできなかった。
瞬は、それが氷河の叔父を傷付けることになるのでしないかと不安でならないらしい。

「大丈夫。叔父上は、おまえを羨みはするかもしれないが、憎みはしない。叔父は、そんな器の小さい男ではない」
氷河は、叔父よりも自分の方が傷付いているような目をしている瞬の髪を撫で、その耳許に囁いた。
確信を持ってそう言い切ることのできる自分は、どうやらあの堅物の叔父を信じ愛してもいるらしいと、今更なことを考えながら。






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