――わからない。
余はなぜいつもアテナに敗れるのだ。
人間という生き物は世界にあってはならぬもの、世界を汚し、自らを汚すことしか知らぬ おぞましい存在。
人間たちが皆 滅んだ時に初めて、ようやく、世界は真の理想郷となるのだ。
それはわかりきったこと。
人が少しでも利口であれば、誰もが余の言葉の方が正しいと理解するはずなのに。

生きていたいと思える世界か?
人間の支配する世界は?
否。
断じて否だ。

力無き者は虐げられ、同じ人間でありながら、彼等に手を差しのべる者はない。
優越感に浸るために 他者に同情心を抱くことはしても、己れの優越と安全を放棄してまで 無力な者たちと同じ場所に立とうとする者は、人の世にはいない。
恵まれた者は傲慢に振舞い、恵まれぬ者は恵まれた者を妬み蔑むことで、己れの自尊心の均衡を保っている。

何より、すべての人間が、空を汚し、水を汚し、花を踏みにじり――人間は、他者の命を犠牲にすることなしには己れの命を保つこともできない哀れな生き物ではないか。
人間は、己れが生きていることを恥じてしかるべき存在、己れの存在を消し去ることでのみ、世界に善を為すことのできる存在ではないか。
余は、そのように哀れな者たちに、『死』という希望を与えてやろうとしたのだ!

――だというのに。
だというのに、余はなぜアテナに敗れるのだ、いつもいつも――。

まあよい。
余は、また長い眠りに就くだけだ。
余が次に目覚めた時、はたして人間たちは自滅せずに、その存在を保っていられるだろうか。
そうであってほしい。
そうでなければ、余が目覚める意味がない。
次の目覚めの時まで、余はゆっくり考えよう。
余がアテナに――いや、人間に――敗れる訳を。

「氷河に生きていてほしいと思ったの。そうしたらハーデスは消えてしまった」
瞬の声――希望に満ちた瞬の声――が、眠りに就こうとする余の心の中に、ふいに飛び込んできた。
本当にそんなささやかなことで、瞬はあれほどの力を生んだのか?

好きという感情が希望を生むのか、あるいは、希望を抱くことによって人は人を好きになってしまうのか――。
時間はたっぷりある。
ゆっくり考えよう。
『好き』という感情の力と意味を。
余が、人間に――瞬に敗れた訳を。


余は、だが、この敗北をそれほど口惜しく思っているわけではない。
むしろ心のどこかで、この結末を喜んでいる――ような気がする。

瞬は、余とは別の存在として、これからも、あの可愛らしい迷いを迷いつつ、傷付き、苦しみ、悲しみながら、その儚い生を生きていくのだろう。
いつか、死という絶望(あるいは、それは希望なのか?)の時が訪れるその時まで、瞬は歯を食いしばり、健気に生きていくことだろう。
その姿はどれほど美しいことか。

そう、瞬が余のものにならなかったことは、余にとっても幸運なことだった。
余は、あの健気で美しい存在を我が手で消し去らずに済んだのだから、
余は、瞬を失わずに済んだのだから。
余は――瞬を『好き』だったようだ。






Fin.






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