人間の国

- I -







奴隷は言葉を喋る道具であり、牛馬と同様に人間に・・・奉仕するものである。
それが古代ギリシャにおける一般市民――自由民――の『奴隷』に対する共通した認識だった。

奴隷たちは主に戦争の際に捕虜となった者、戦利品として略奪された者たちから成っていたが、やがては外国人奴隷の輸入も行なわれるようになっていく。
ギリシャ世界全体では、自由民と奴隷の数はほぼ拮抗していた。
アテネでは人口の約3分の1が奴隷であり、スパルタではなんと自由民の10倍の奴隷たちが彼等の生活を支えていたのである。

ギリシャの自由民たちは、家内労働から農業、鉱業、建築、すべての労働を奴隷たちに行なわせた。
多くの小国家が並存するギリシャでは国家間の戦争や、新たな奴隷を求めて国外への侵攻が企てられることも多かったが、それらの戦いで実際に前線で戦う者たちもまた――建前では自由民以外の者が軍体に入ることを許されていない国においても――自由民ではなく奴隷たちだった。
奴隷制の発達によって肉体労働から解放されたギリシャの市民たちは、その余暇を文化活動に当て、ギリシャの文化芸術は絢爛たる花を咲かせることになったのである。

ギリシャ世界は奴隷なしには立ち行かない世界。
大小の都市国家ポリスが林立するギリシャ世界での生産行為の主な担い手は、その奴隷たちだった。
やがて、ギリシャ世界の実質の生産者であり運営者でもある彼等が自分たちの権利を主張するようになっていったとしても、それは当然のことだったろう。

その反乱は起こるべくして起こった。
あるポリスが新たな奴隷獲得のためにマケドニア地方に侵略の兵を出した際、奴隷たちで構成されていた軍隊が、突如 手にしていた武器を彼等の主人であるギリシャ人たちに向けたのである。
奴隷を得るための戦争に奴隷が駆り出される。
彼等は、その矛盾に耐えかねたのかもしれなかった。

『奴隷と家畜の用途には大差がない。なぜなら彼等は両者共、肉体によって人生に奉仕するものだから』
アテネのある哲学者はそう言った。
数で勝り、肉体的にも優れた奴隷たちの反乱に、軟弱なギリシャ自由民たちは抗する術も持たなかった。
彼等は、彼等の奴隷なしには戦争もろくにできなかったのである。

反乱を起こした奴隷たちは、そして、彼等の国を作った。
一握りの自由民が 自分たちの数十倍の奴隷を酷使していたある都市から、僅かばかりの自由民を追い出すことで土地は手に入った。
奴隷の国の建国を知ったギリシャ中の奴隷たちが、続々と彼等の主人の屋敷から逃げ出し、彼等にとっては希望そのものである その国にやってくる。
その数の多さは尋常ではなく、すぐに最初に反乱軍が手に入れた都市の家々だけでは民の住居が不足し始めたのだが、奴隷たちは皆勤勉な者たちばかりで、しかも生産的行為に長けていた。
彼等は足りない住居は自分たちの手で容易に建てることができたのである。

そういった経緯を経て、奴隷たちが造った小さな国はどんどん拡大していった。
人間として扱われない生活に、彼等はそれほど不満と屈辱をかこっていたのだろう。
彼等の国が人口と規模だけならギリシャ最大の国となるのに、さほどの時間はかからなかった。
多くの民を統べ、国を経営するには、彼等に進むべき道を示す指導者が必要である。
彼等は合議と選挙で彼等の王を選び、国の中心に新たな王城を築いた。

国土と国民と統治者。
国としての体裁は整い、しかもその規模はギリシャのどのポリスより――アテネよりスパルタより――大きい。
ギリシャ最大のその国を、しかし、ギリシャ人たちは決して“国”とは認めなかった。
奴隷の手を借りないことには、逃げ出した奴隷たちを取り戻すこともできない自由民たち――何ひとつ自分の力で為すことのできない自由民たちは、だが、奴隷たちの造った国を 独立した主権を有する一つの国家として認めないことだけはできたのである。

もともとギリシャ人たちは、自分たちをヘレネス(デウカリオーンの子ヘレーンの子孫)と自称し、奴隷たちをバルバロイ(意味の分からない言葉を話す者)と呼んで蔑んでいた。
奴隷たちは、栄光あるギリシャ人ではなく野蛮な異民族の集団、しかも元はと言えば戦争に負けて  奴隷となった者たちとその子孫。
卑しい者たちが集まって急ごしらえの国を建てたからといって、ギリシャ人たちは そんなものを自分たちのポリスと同等の国として認めるわけにはいかなかったのである。

だが、ギリシャの国々の中に、バルバロイたちの造った国に太刀打ちできる力を持つ国はない。
ギリシャ各国の軍の兵たちの大部分はバルバロイの国を守る者になってしまっていたのだ。
軍を編成できなければ、当然戦争も行なえない。
ギリシャ各国の自由民たちは、手をこまねいて奴隷たちの国が日に日に力を増していくのを見ていることしかできなかった。






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