人が偽善を恐れるのは、報いが得られないことで後悔する自分の浅ましさが惨めに感じられるからなんじゃないだろうか。
誰かのために善を為した、その行為の裏に潜んでいる自分の欲や醜さに気付かされるから。
その惨めさに耐える覚悟がない者が、誰かのために犠牲になろうなんて考えるべきじゃない。
そもそもそれを自分で“犠牲”と言ってしまうことからして、浅ましさの極みじゃないか。

瞬のために歩けなくなったことを、俺は後悔していない。
瞬に報いを求めるつもりもない。
あの時あの夜の庭で、瞬と俺の立場が逆だったなら、瞬は必ず俺と同じことをした。
そして、瞬は自分の行為への報いを求めたりはしないだろう。
だが、報いを求めないこと、報いを期待しないということは、なんて難しいことなんだ。

俺はあの時――瞬の身代わりになるとハーデスに告げた時、何の覚悟もしていなかった。
ただ瞬を他の誰かに奪われるのが嫌で、そして俺が瞬の“犠牲”になったことを瞬が知れば、瞬は俺を愛するようになってくれるかもしれないと うわついたことを考えて、感情のまま あの薄闇の中に自分から飛び込んでいった。
瞬には何の罪も責任もない。
それはわかっている。わかっているんだ。
だが、俺は浅ましく卑小な人間だから、俺の決意に報いてほしいと瞬に望んでしまう。
瞬がこんな惨めな男のものになったりしたら――それこそ“あってはならないこと”だ。
そんなことが現実のものになってしまったら、俺自身も腹が立つ。
それでも俺は、“あってはならないこと”の実現を望んでいた。






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