結局 瞬に押し切られ、俺は住居に隣接している練習場で瞬に剣術を“指南”することになってしまったんだ。 まったく、この国の貴族様は身の程を知らなくて困る。 これがどれほど傍迷惑なことなのか、瞬は理解しているんだろうか。 瞬に怪我はさせられない。 神経を使う立ち合いになりそうだと、俺は少々沈鬱な気分になった。 対戦相手が瞬でなかったら、怪我の一つや二つ、傷の一つや二つ、丁重に贈呈してやるところなのだが(そういう荒っぽい指導をしているから、俺のサロンは軟弱な貴族たちには敬遠されているらしい)、この可憐な花が相手ではそうはいかない。 花を散らさないように花と戯れるのは至難の業だろう。 いつもとは違う種類の緊張をして、俺はフロアの中央で 瞬も、その程度の作法は知っているらしい――と俺が苦笑した瞬間に、瞬の印象は一変した。 先に攻撃を仕掛けてきたのは瞬の方だった。 師に教えを乞う生徒の分際で。 剣で一度 風を切ってみせるだけでおじけるだろうと思っていたのに、だが、瞬の突きは鋭かった。 がむしゃらに剣を突くことだけは心得ているのかと軽んじる余裕も、俺は持てなかった。 そして、瞬の 俺の突きを実に美しく軽々と払ってみせる。 強い――瞬は強かった。 この国で――いや、これまでに俺が剣を交えたことのある誰よりも。 しかも、何というか―― 一挙手一投足すべてが流れるように美しい。 突き、切り、払い、その動作の一つ一つに、試合中俺は何度も見惚れそうになった。 俺はいつのまにか本気になっていて――それにしても、俺の本気のスピードについてこれるとは。 実力が伯仲している相手と戦うことが これほど爽快なことだったとは。 何もかもが俺には初めての経験だった。 いつまで経っても決着がつかない――俺と瞬の試合は、いつまで経っても決着がつかなかった。 試合が長時間になれば、その勝敗を分けるのはスタミナの有無になるが、俺よりはるかに体力が劣るだろう瞬には、その点でも問題がなさそうだった。 むしろ、身が軽い分、俺より有利かもしれない。 試合時間が長くなっても、瞬はかなり余力を残しているように見えた。 簡単に勝てる相手だとばかり思っていたのに、こんな小さな国にこれほどの使い手がいるなんて、世界は実に広い。 そんな矛盾したことを考えながら、俺は1時間ほど瞬と剣を交えていただろうか。 1時間後、 「これまでにしましょう」 の声を投げたのは、またしても師である俺ではなく、生徒である瞬の方だった。 瞬と剣を交えていることに ほとんど陶酔していた俺は、その声にはっと我にかえった。 瞬の様子を窺うと、さすがに少し息を乱している。 戦っている間は疲れも感じていないように見えていたのに。 「こんなに強いなんて……。あなたを見くびっていました」 そう言ったのも、俺ではなく瞬の方だった。 瞬は、自分の強さを自覚していたらしい。 「おまえの兄は、おまえより強いのか」 瞬の強さに仰天している事実を押し隠して剣を鞘に収めることができただけでも、俺は自分を褒めてやりたい。 興奮の余韻は、なかなか引いてくれなかった。 流れるような動作で剣を収めた瞬は、それから、きっぱりした口調で俺に告げた。 「立ち合ったことはありません。その必要はないでしょう。立ち合うまでもなく、兄の方が強いに決まっています」 「それはどうかな」 俺は各国をまわって名のある騎士と幾度も手合わせしてきたが、これほどの使い手はいなかった。 これほど長い時間、俺に一度も突きを決めさなかった剣士など、本当にただの一人もいなかった。 これ以上に強い使い手が瞬の他にもまだいるなんて、どれほど世界が広くても考えられない――というより、考えたくない。 「しかし、じゃあ、おまえは誰に剣を習ったんだ」 「僕は5歳から10歳になるまで、都を追放された父と共に政治犯の流刑地である小さな島で暮らしていました。その島の管理責任を任されていた領主が僕の剣の師です」 「よい指導者のようだな。会ってみたい」 「先生は……反逆者に親切にしすぎるという理由で、前王に国外追放されました。今はスペイン領のどこかにいるはずです。先生はとても人望のある方だったので――それが前王の気に入らなかったのでしょう」 「噂には聞いていたが……かなりの暴君だったようだな、この国の前の王様は」 「ええ」 人を悪く言うことなどできなさそうな瞬が、ためらいもなく頷く。 そういう男だったのだろう。 前王の治世下では臣下も国民も心穏やかに生きていることはできなかったに違いない。 謀反や反逆の企てが絶えなかったというのも もっともな話だ。 「もっと粗野な戦い方をするのだとばかり思っていたのに、氷河の剣はとても美しい。陛下が好みそうです」 そして、瞬は、今の国王に対しては悪意も敵意も抱いてはいないらしい。 「陛下が、ね」 皮肉な口調で、俺は瞬の言葉を復唱した。 ウルジェイの現国王は前王の次男で、本来は王位に就くような立場にはなかった――と聞いている。 王太子だった長兄が女色に溺れて命を縮め、父より先に亡くなったので、思いがけず次男の手に王位が転がり込んできた。 それが5年前。 長兄が王位に就いていたら、この国はますますひどいことになっていただろうというのが一般的な評価で、一国の王としての覚悟や威厳の不足は否めないが、現国王は おおむね国民には愛されているらしい。 「今の国王を憎んでいないのか。おまえの父を無実の罪で死に追いやり、恩師まで追放した男の息子だぞ」 「今の国王陛下は、僕と兄を都に呼び戻し、公爵家の復権のために尽力してくれましたし、先生のことも追放処分を取り消し、今 行方を探してくださっています。僕と兄が都に帰還してきた時、陛下は父君のしたことを、僕たちに謝罪してくださった。陛下は一連のことには何も加担していなかったのに」 「ふん……」 だから憎んではいないということか。 父を不名誉の中で死なせるようなことをした男の息子でも。 憎しみというものは、そんなに簡単に消えるものか? いや、そんなはずはない。 憎しみは、人間が持てる力の中で何よりも強い力のはずだ。 |