瞬が 沙織のお使いを済ませて仲間たちの許に帰ってきたのは、氷河が一輝を道具として利用し、一輝もまた氷河を道具として利用しているという事実が、(瞬以外の)アテナの聖闘士の知るところとなって間もなくのことだった。 「あれ、みんな、まだここにいたの? 敵の人たちは帰ってくれたんでしょ? 中に入ってアイスクリーム食べようよ。兄さんと氷河が守ってくれたアイスクリーム」 何も知らない瞬が、招かれざる客たちの姿が消えた庭に、軽やかな足取りで駆けてくる。 途端に、氷河は その眉をつりあげた。 「貴様の暑苦しい顔に出合ったら、せっかくのアイスクリームも溶けてしまうに決まっている。貴様は一緒に来なくていいぞ。迷惑だ」 「冬場に氷雪の聖闘士は、存在そのものが傍迷惑だろう。貴様こそ、『甘いものは瞬しか食わない』を身上にしているんじゃなかったのか」 互いに相手を排斥しようとする二人の間で、瞬が困った顔になる。 「氷河も兄さんも、そんな憎まれ口をたたかないで。僕たちは仲間でしょう」 もちろん、二人は仲間である。 同じ罪を犯している共犯者であるがゆえに、二人は瞬の前で険阻な表情を保ち続けなければならないのだ。 「たまに帰ってきた時くらい仲良くしてください」 最愛の弟に すがるような目で見詰められることで、一輝はいい気分になっているらしい。 「兄さんと氷河がそんなふうだと、僕……」 兄だけを見詰めていた幼い頃そのままに涙ぐむ瞬の姿は、一輝には決して憂うべきものではなく――そんな瞬を見詰めていられる時間は、一輝にとって、自分が瞬の兄であることを再確認できる至福の時ですらあるのだ。 氷河が瞬の兄を嫌っている振りを続ける限り、瞬は兄離れをしない――できないだろう。 氷河が一輝を、瞬を釣り上げ 手許に置き続けるための道具として利用しているように、一輝もまた氷河を、瞬に兄離れさせないための道具として利用しているのだ。 氷河と一輝の生き様は 人間としてどうかと思う――というのが、星矢の偽らざる気持ちだった。 「ホモ・ファーベル――工作人――道具を使うヒト――という概念があるんだ」 「へ……?」 星矢は、氷河と一輝のやり口に不快の念を抱き始めていた。 そんな星矢の前に、ふいに紫龍が聞き慣れない言葉を持ち出してくる。 「道具を使う人――?」 紫龍は、天馬座の聖闘士に浅く頷き返した。 「人間は“モノを作るために道具を使う存在”だという考え方だな。そういう観点から見ると、氷河と一輝は、正しく“人間”であると言える――かもしれない」 「……」 氷河と一輝は、一方は 瞬との恋を作り維持するために、もう一方は“兄を慕い続ける瞬”を作り維持するために、よりにもよって“人間”を道具として利用している。 二人の反目は、決して低次元な争いではない。 氷河と一輝の反目は、人間として非常に高次な――だが、非人道的な――まさに“工作”なのだ。 そして、非人道的な二人は、今日も熱心に彼等の工作作業にいそしんでいる――。 「おまえがそれほど言うのなら――そうだな、一輝と隣り合った椅子に座って、アイスクリームを食するくらいのことはしてやってもいいぞ」 「ほんと !? 」 「ああ」 氷河のささやかな妥協案を聞いた瞬の表情が ぱっと明るく輝く。 瞬は幸せそうに――本当に幸せそうな笑みを、その少女めいた顔に浮かべた。 瞬がそんな他愛のないことで、これほど喜ぶことができるのは、言ってみれば、氷河と一輝の不仲のおかげ――だろう。 氷河と一輝は、その反目・不仲によって、“幸福な瞬”をも作っている――と言えるのかもしれない。 氷河と一輝が常日頃から仲がよかったら、瞬は、二人が並んでアイスクリームを食するだけのことを、これほど喜ぶことはできなかっただろう。 「じゃ、一緒にラウンジに行きましょう」 瞬が、兄と恋人に手を差しのべる。 左右から、氷河と一輝はその手を取った。 人間が、幸せを幸せと認識するためには、もしかしたら不幸や不運のエッセンスが必要なのかもしれない。 幼い頃の不遇や、現在進行形の氷河と兄の反目が、瞬を今 非常に幸福な人間にしている。 人間が幸せになるためには、おそらく幸せだけがあっても無意味なのだろう。 幸運や順風満帆な生活をしか知らない人間は、おそらく この世で最も不幸な人間であるに違いない――。 アイスクリームケーキの入った箱を抱えた星矢は、右と左の手に『花』とも言えない花を持って歩く瞬たちの後ろ姿を見やりながら、そんなことを考えることになったのである。 それでも星矢は、氷河が一輝を、一輝が氷河を、モノとしてしか見ていないことを是と思ってしまうことはできなかったのだが。 星矢は――瞬同様に星矢もまた――確とした理想をその胸に抱いているからこそ、この現状を受け入れ難く思わずにはいられないのだった。 人間は“モノ”ではなく――心を持っているからこそ、ヒトは人間として生き存在することが許されているのだという理想(あるいは希望)を、星矢はその胸に抱いていた。 「我々の遠い祖先が道具を使うようになったのはなぜだと思う?」 紫龍が星矢にそう尋ねたのは、どうあっても現状を是認してしまいたくないらしい星矢を、彼が好ましく思っているせいだったろう。 揺るぎない理想を抱いている人間は、たとえその理想がどれだけ現実に即したものでなかったとしても、他者に好感を抱かせるものなのだ。 「なぜ……って」 そんな昔の人間の思惑を察することは、星矢にはできない。 質問の答えは、その質問を発した人間の口から発せられた。 「自分と自分の仲間たちの生活を豊かにするためだ」 「豊かにするため――って、便利にするためってことか?」 「幸せにするために、ということだ」 「自分と自分の仲間を幸せに――」 星矢が視線を向けた先で、瞬は確かに“幸せ”としか表しようのない眼差しを、兄と氷河に交互に投げかけていた。 だとすれば、氷河たちは、人間として実に正しい進化を遂げていることになる。 「うん……。ま、いっか。一輝がモノでも、氷河がモノでも、瞬は幸せでいるんだから」 瞬の幸せそうな笑顔は、星矢をも幸福にしてくれるものだった。 その笑顔を見ていると、これでいいのだという気持ちになることができる。 人類の進化の目的は、確かに今この場所で実現していた。 Fin.
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