スキュティアの領地は広大である。
領地の内に入ってから領主の城館に辿りつくのに、瞬たち一行は丸2日かかった。
もちろん、農作物の実りは南方ほど恵まれたものではないのだろうが、これだけの広さの土地があれば、リビュアの5倍以上の収穫があるに違いない。
当然、スキュティア公爵家は豊かで、経済的な不安とは無縁だろう。
その上、国王の覚えもめでたい。
獰猛野卑な北の悪魔という噂さえなければ、どんな貴族も(王族ですら)一族の女性をスキュティア卿の妻にして、北の公爵家と縁続きになることを望むはずだった。
スキュティア家の当主が、不吉な噂の通りの人物でさえなければ。

ともかく、スキュティア卿とスキュティア公爵家が富裕であることは疑いようのない事実だった。
その当主が住む城館も、瞬のリビュアの館とは桁違いの規模。
とはいえ、それは豪華華麗な建築物というには程遠く、堅牢で重々しい印象の強い石造りの城だったが。
雪の多い地方のこと、気候に適した建築様式というものがあり、その堅牢さは仕方のないことなのだろうが、エスメラルダが生まれ育った可愛らしいミュシアの城とはまるで雰囲気が違う。
訪れた者を圧するようなスキュティア城の威容を目の当たりにした途端、スキュティアの領民の様子を見て瞬の胸中に生まれかけていた ささやかな希望は、真昼の陽光にさらされたアサガオの花のようにしぼみ、瞬の心配は募ることになった。

エスメラルダとその従者たちが最初に通されたのは、その堅牢な城の大広間だった。
調度の豪華さ、天井画の壮麗、壁の細工の趣向等は、さすがに見事としか言いようのないものだった。
高い天井からは きらめくようなシャンデリアが多く備えつけられていたが、採光の工夫がされているのか、日中は火を入れる必要がないらしい。
規模の大きな城にありがちな薄暗さは、そこにはなかった。

広間の両脇には、未来のスキュティア公爵夫人を迎えるために、家臣や兵たちがずらりと居並んでいる。
彼等が身につけている衣服や甲冑は、贅を凝らした城の住人にふさわしく、実に立派なものだった。
だが、その空間は広すぎ、居並ぶ家臣たちは形式張りすぎていて、場の印象はひどく寒々しい。
エスメラルダが怖気なければいいが――と、瞬は案じることになったのである。
エスメラルダを励ますように その手をとって、瞬は広間の正面中央に進み出た。

最初に、瞬の目に飛び込んできたのは、スキュティアの領主が腰をおろしている豪奢な椅子の脇に立っている家令らしき青年の輝くような金色の髪だった。
青い瞳は、人の心を射抜くように鋭く険しい。
瞬は その厳しさに怯えつつも、彼に目を奪われてしまったのである。
というより、瞬は彼から視線を逸らすことができなかったのだ。
彼も、この対面の場の主役であるエスメラルダではなく、瞬を凝視していた。

やがて瞬は、彼の眼差しが、初対面の人間を値踏みする視線なのだと気付いたのである。
北の野蛮人とつるんでいる者などに侮られてなるかと、瞬は彼を睨み返した。
瞬の睥睨に出会うと、金髪の青年は、まるで思いがけないものに不意打ちを食らった人間のように両の肩をすくめ、それから ひどく楽しそうに瞳だけで笑った。
睨まれている時には睨み返すことができたのに、その笑みに出会うと、瞬はどぎまぎして、反射的に瞼を伏せることになってしまったのである。

そんな瞬の耳に、
「似ている……」
という、スキュティアの領主の呟きが飛び込んでくる。
その呟きで自分の役目を思い出し、瞬は慌てて、領主の椅子に腰掛けている男の方に向き直った。
「あ……こちらが、ミュシア子爵家の令嬢、エスメラルダ様です」
慌てて、瞬はスキュティアの領主にエスメラルダを紹介したのだが、その時には既に、彼の視線は 彼の未来の花嫁の姿に釘付けになっていた。

領主の椅子に座しているスキュティア卿は、黒髪のたくましい青年だった。
これほど大規模な城の主であり、これほど広大な領地を治める領主にしては、あまりにも華美に走っていなさすぎる上着を身につけている。
スキュティアの獰猛な悪魔が金糸銀糸で縁取られた派手な上着を着ていても不気味なだけだろうから、これは趣味の悪くない適切な選択なのだろうと、瞬は思った。

「ああ、よくきた。俺がこのスキュティアの領主の――」
スキュティア卿の視線が、彼の未来の花嫁から逸れ、彼女を紹介した騎士の上に巡ってくる。
花嫁の従者を見るなり、彼はその先の言葉を飲み込んだ。
そして、瞬もまた、エスメラルダの未来の夫の姿を認めるなり、息を呑むことになったのである。
驚きで、声が出てこない。
なぜこんなことがありえるのかと、瞬の思考は激しく混乱してしまったのである。

なぜこんなことがありえるのだろう――?
スキュティアの領主の椅子に腰をおろし、瞬とエスメラルダに スキュティア公爵と名乗った黒髪の青年は、瞬が知っている人物だったのだ。
知っているどころか!
彼は、この1年ほど行方不明になっていた瞬の兄、その人だった。
「に……」
兄がこの北の国でスキュティア公爵を名乗っていることに 瞬は驚いたが、瞬の兄もまた、彼の弟がこんな北の果てにいることに尋常でない驚きを覚えたらしい。
兄と弟は、互いを見詰め、二人して息を呑むことになったのだった。

「な……なぜ……」
なぜ あなたがここにいるのだと、瞬は兄を問い質そうとした。
瞬より一瞬早く我にかえったらしい瞬の兄が、瞬の疑念をわざとらしい ねぎらいの言葉で遮る。
「ミュシアからの長旅、さぞ疲れたことだろう。部屋を用意してあるので、夕食まで、そちらで休まれるといい」
「にいさ……」
「騎士殿はあとで俺の部屋に。今後の打ち合わせをしたい」
「あ……」

兄が瞬に目配せをしてくる。
その場には、瞬と瞬の兄の他に多くのスキュティア公爵家の家臣たちがいた。
兄が他人の城で、その主の振りをしているのには、何か深い事情があるのだろう。
そう察して、瞬はその場で兄を問い詰めることは避けたのである。

だが、それにしてもなぜリビュアの領主である兄がこんなところにいるのか。
混乱しながら、瞬は、かすれた声でスキュティアの偽の領主に諾の答えを返したのだった。






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