自分にはどうしても実感できない その事実を、瞬が認め受け入れることができるようになったのは、瞬が自身の小宇宙を感じとれるようになったからではなかった。
瞬がその事実を認め受け入れることができるようになったのは、瞬の仲間たちが『そうだ』と言うからだった。
瞬は、自分の感覚を信じることはできなかったが、仲間たちの言葉をなら信じることができたのである。
瞬にとって“仲間”とはそういうもの、瞬の仲間たちはそういう者たちだったのだ。

「ぼ……僕、アテナの聖闘士だと思う? みんなの仲間だと……」
瞬の仲間たちは、揃って力強く明るく頷いた。
「僕、みんなと一緒にいてもいいのかな……」
仲間たちの明るさと優しさが眩しくて、瞬の瞳に涙が盛りあがってくる。
「いつまでも一緒にいようぜ!」
瞬の涙に慌てた様子もなく――なにしろ、瞬の仲間たちは瞬の涙に慣れていたのだ――星矢が張り切って、実に明快な提案を提示してくる。

「む……」
それは氷河こそが言いたいセリフだったので――それも、できれば瞬と二人きりでいる時に――彼は星矢の不粋に あからさまに顔をしかめることになった。
が、氷河はそこで優雅に顔をしかめているべきではなかったのである。
星矢を殴り飛ばしてでも、彼はそのセリフを自分で言うべきだった。

「ありがとう、星矢!」
星矢の明るく屈託のない提案に、瞬の心は大きく揺さぶられたのだろう。
感極まったらしい瞬は、その感動の勢いをそのままに星矢の首に飛びついていった。
瞬に ひしと強く抱きしめられている星矢を目の当たりにして、氷河は声にならない雄叫びをあげることになったのである。
これでは、瞬に惚れている男の立場がないではないか。

瞬に突然抱きつかれるという途轍もない幸運を、途轍もない幸運と自覚できているのかいないのか、星矢は自分の胸の中で泣きじゃくり始めた瞬に、むしろ困ったような顔をしている。
百年に一度あるかないかの幸運の価値を全く理解できていない鈍感な仲間を、いっそ殴り飛ばしてやろうかと、氷河は思ったのだった。

「かわいそうに。自分は聖闘士ではないと思い込んで、ずっと引け目を感じていたんだな」
紫龍は、星矢の胸の中で嗚咽を洩らしている瞬に対しては 深い憐憫の情を覚えたようだったが、そんな星矢と瞬を見て顔を引きつらせている男には あまり同情的ではなかった。
「ま、そんな事情だから、瞬はこれまで 惚れたはれたなんてことを考える暇も余裕もなかったのだと思うぞ。おまえのこれまでのアプローチも全く無意味。おまえに優しくされても、瞬にはそれは負い目を感じる材料にしかなっていなかったんだろうな」
これまでの氷河の努力はすべて無駄だったのだと、紫龍が軽く断言してくれる。
氷河の顔の引きつりは、ほとんど痙攣に変わりかけていた。

ところで、瞬は、自分が持つ小宇宙や力には鈍感だが、仲間の小宇宙や自分以外の人間の感情の機微は敏感に察知することのできる人間である。
星矢の胸の中で感動の涙にむせんでいた瞬は、自分の背後で何者かの小宇宙が腸捻転に似た様子を呈していることを察知し、恐る恐る後ろを振り返ることになったのである。
そこに、氷河の引きつりまくった顔があった。
たとえどれほど引きつっていても、それは瞬にとっては“優しい”氷河の顔。
瞬は勇気を奮い起こし、それでも少し遠慮がちに氷河に尋ねていったのだった。

「あ……あの……氷河も僕を仲間として……あの……」
「いや、俺は仲間なんかじゃなく――」
「え……」
氷河がなりたいものは、瞬の“仲間”などではなかった。
彼は、『氷河たち』でくくられる仲間ではなく、そこからもう一段階進んだところにある、瞬の特別な人間になりたかったのである。
氷河の真意を知るべくもない瞬が、氷河の言葉を拒絶のそれと解し、にわかに表情を曇らせ項垂れる。

そんな瞬に、
「仲間に決まってるだろう! おまえは俺の仲間だ仲間!」
と大声を張り上げること以外、今の氷河に何ができただろう。
他にできることはなく、だから、氷河は自分にできることをしたのである。
ほとんど やけになって。

「あ……ありがとう……氷河!」
“優しい”氷河の優しい言葉(?)に、それでなくても潤んでいた瞬の瞳が更に更に潤む。
その瞳を感動の涙でいっぱいにした瞬は、だが、どういうわけか、星矢に対してそうしたように氷河に抱きつくことはしなかったのである。

(どうして俺には抱きついてきてくれないんだっーっ!)
氷河はまたしても胸中で雄叫びをあげることになったのだが、瞬が氷河に抱きついていかなかったのは、瞬が間違いなくアテナの聖闘士であることの証でもあったろう。
戦いを生業なりわいとする聖闘士の勘で、瞬は、自分が氷河に抱きついていくことは 我が身を危険のただ中に放り込むことだと感じ取っていたにちがいなかった。
顔を引きつらせまくっている某白鳥座の聖闘士の脇で、瞬は間違いなく鉄壁の防御力を誇るアンドロメダ座の聖闘士だと、紫龍は その確信を強めることになったのである。

が、当の氷河には、紫龍のそんな確信などどうでもよかった。
アンドロメダ座の聖闘士の鉄壁の防御力など、今はむしろ邪魔で不要なものだった。

瞬に対して氷河は これまで、朝となく昼となく夜となく さりげないアプローチを続けてきた。
白鳥座の聖闘士がアンドロメダ座の聖闘士に特別な好意を抱いていることを、瞬は そこはかとなく感じるくらいのことはしてくれているものと、氷河は信じていたのだ。
そして、瞬は、人の好意を無碍むげにすることのできないタイプ。
他に特に気になる相手がいないのなら、瞬は瞬に好意を打ち明けた最初の人間を そのまま受け入れてくれるだろうと、氷河は考えていた。
すなわち、白鳥座の聖闘士がアンドロメダ座の聖闘士に恋を告白すれば、それで自分の恋は すんなり成就することになるだろうと、氷河はたかをくくっていたのだ。

そのためのお膳立てに怠りはなく、抜かりもない。
二人の恋の前準備は万端。
瞬の中で、氷河という男は“特別に優しい男”になっているはずだった。
瞬にそう思わせるだけの努力を、氷河は日々重ねてきたのだ。
あとは瞬への告白を済ませるだけ。告白を済ませてしまえば、その時から瞬は自分だけのものになる――と、氷河は信じていたのである。
だというのに、氷河の恋は、実は まだスタートラインにも立てていなかったのだ――。

「ハーデスとの聖戦も一段落して、時間はたっぷりあることだし、これから もう一度 一からやり直すことだな」
「うんうん。瞬も本当に俺たちの仲間だってわかってくれたことだし、これからだぜ!」
「――」

瞬が仲間たちを心から信じているように、氷河もまた、口ではあれこれ言いながら結局は 彼の仲間を信じていた。
彼等は ひたすら前向きで、どんなにつらい時にも希望を失わず、明るく正直で、決して後ろを振り返らない。
そんなふうに前向きで、無責任なほど明るく能天気な仲間たちの励ましが、今ばかりは空しく感じられてならない氷河だった。






Fin.






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