翌日、朝食の席に現われた氷河の姿を見て、紫龍は胸中で、
(『リボンの騎士』のサファイヤ姫か!)
と呻り、星矢は、
(『魔女の宅急便』のキキかよ〜!)
と雄叫ぶことになった。
『年齢の違い』では片付けられない問題がそこには確実に横たわっていたのだが、それはさておくことにして、ともかく、星矢と紫龍は氷河の姿を見るなり、朝から 天地がひっくりかえるほど驚くことになったのである。

その日、いつもの通りに、仲間内では最も遅く城戸邸のダイニングルームにやってきた氷河は、その頭の頂に、彼の顔と大差ない大きさの――つまりは超特大の――深紅のリボンを載せていたのだ。
そういう格好で颯爽と(?)、氷河は仲間たちの前に登場したのである。
「ひ……氷河、おまえ、気でも狂ったのか !? 何だよ、その格好は!」
「か……仮にもアテナの聖闘士が、何という情けない格好を……」
「おまえ、『諦めは愚か者の結論』とか何とか言ってたじゃないか。やけになるには早すぎるぞ」
「貴様には日本男児としての誇りや気概はないのか! そんな、まるで婦女子のような――」

星矢と紫龍がまだ食事にとりかかっていなかったのは、誰よりも氷河にとって幸運なことだったろう。
彼等が既に口の中に食べ物を入れている状態だったなら、氷河は、驚天動地の彼等が その口から吐き出した(吹き出した?)クロワッサンやサラダやコーヒーの成れの果ての直撃を受け、せっかくの赤いリボンが汚れてしまっていたに違いなかったから。

幸い、氷河は、そういう見苦しいものによる攻撃を受けずに済んだ。
そして、氷河は、受ける攻撃が言葉による非難だけなら、どれほど口を極めて罵られても、痛くも痒くもなかったらしい。
「このアイデアを出したのはおまえ等だろう」
照れた様子のかけらもない真面目な顔で そう言って、氷河はぎゃあぎゃあ喚いている二人の脇をすたすたと すり抜けていった。

「へっ」
氷河のその低い声を聞いて、星矢は、それは確かに昨日 彼が思いついた瞬攻略のアイデアだったことを思い出すことになったのである。
『こうなったら、いっそ女装して迫ってみるってのはどうかなー』
『いくら打つ手がないからといって、仮にも日本男児がそんな恥知らずなことは――』
『それはいい手かもしれない』
そんなやりとりが、確かに昨日、青銅聖闘士たちの間では為されていたのだ。

だが、星矢は――もちろん紫龍も――まさか氷河が そんな戯れ言を本気で実行に移すことがあるなどとは考えてもいなかったのである。
一般の人間には持ち得ない肉体の強靭と戦闘力を身上にしているアテナの聖闘士が――男女平等主義者の非難を恐れずに言うならば、男性的美質を極めた存在であるところのアテナの聖闘士が――何が嬉しくて、か弱き婦女子が用いるアクセサリーを頭の上に載せて、惚れた相手の前に登場するという奇行に及ばなければならないのか。
アテナの聖闘士としても、一人の日本男児としても、星矢と紫龍には、氷河の恥知らずな行動の訳がわからなかった。
否、全くわからないわけではなかったのだが、氷河と同じ一人の男として、それは、彼等には信じ難く許し難い行動だった。
が、氷河には、星矢と紫龍の評価心情などどうでもいいことだったらしい。
彼は悪びれた様子も恥じ入った様子もなく、まっすぐに瞬の許に歩み寄っていった。

ちょうど仲間たちのカップにコーヒーを注ぎ終わったところだった瞬が、氷河の奇天烈な風体にあっけにとられた顔で、ダイニングテーブルの脇に立っている。
氷河は、そんな瞬の前に立ち――瞬のために1メートルの距離を置いて立ち――、金髪の仲間の頭の上にあるものの意味がわからず ぽかんとしている瞬に、真顔で言ったのだった。
「俺はおまえが好きで、おまえに恐がられることなく、おまえの側にいたい。これなら恐くないか」
「え……」
「俺は、おまえに嫌われ恐がられるために男に生まれてきたんじゃない。俺は、男だからなどというくだらない理由で、おまえに嫌われたくないし、おまえを恐がらせたくもない」
「氷河……」

氷河の突飛な格好が 自分のための仮装(?)であることを、瞬は、氷河のその言葉ではなく、氷河の瞳を見詰めていることで、徐々に理解することになったらしい。
そうして瞬は、時間の経過と共に、驚きによる絶句を 感動による絶句に変えていったのである。
瞬が、氷河の奇矯な姿を笑いもせず、非難もせず――むしろ心打たれたように見詰める様を見て、星矢もまた、頭に赤いリボンを載せた氷河の格好に対する見方を変えることになった。
一人の男として、非常に恥ずかしく、情けなく、みっともない その姿。
だが、それは、瞬を思う氷河の心が氷河にさせたもの。
それが、氷河の男としての心意気なのだと思えば、星矢としても、氷河の男らしい(?)行動に感じ入らないわけにはいかなかったのである。

「まあさ。女の子ほど可愛くも優しくも大人しくもないかもしれないけど、オトコも悪い奴ばっかりってわけじゃないんだし、あんまりオトコってものを毛嫌いしないでやれよ」
氷河の男らしさに感じ入った星矢が、恥ずかしい格好をした氷河の援護射撃にまわる。
が、それは既に ほとんど無用のものだということは、星矢にもわかっていた。

瞬が、氷河と星矢に俯くように頷く。
そして、瞬は、涙をたたえた声で、これまでの自分を仲間たちに詫びることをしたのだった。
「ごめんなさい……。僕、ほんとはわかってたの。氷河たちがあんな卑劣なことするはずないって。氷河たちをあんな人たちと一緒にしちゃいけないって……。わかってたのに……ごめんなさい……」

そう言ってから 俯いていた顔をあげ、瞬は、臆病な仲間のために1メートルの距離を保って彼の前に立っている氷河の側に 自分の方から歩み寄っていった。
手をのばし、氷河の髪に触れて、瞬が涙のにじんだ瞳で笑顔を作る。
「ごめんね、氷河。大丈夫だよ。僕、恐くないよ」
「……」

氷河がすぐに瞬の言葉を喜ぶ素振りを見せなかったのは、それが、仲間のために瞬が無理をして口にした言葉でないことを確かめるためだったらしい。
瞬の手が氷河の髪から頬に下りてきて初めて、氷河は、シベリア仕込みの足封じ技以上に捨て身の彼の攻撃が効を奏したことに確信を持つことができたようだった。
「……よかった」
溜め息のように そう言って、やっと氷河の表情から緊張感が消える。

氷河の表情が和らいだことで、瞬は――瞬もまた、本来の柔軟さと 仲間への心安さを取り戻すことができたらしい。
頭のてっぺんに巨大な赤いリボンを置いている氷河の姿を遠慮なく まっすぐに見やり、やがて 堪えきれなくなったように、瞬はその唇をほころばせた。
「やだな。氷河ってば、ほんとにとっても可愛い。ね、写真撮ってもいい? 僕、沙織さんにカメラつき携帯電話を貰ったんだ。どうして電話にカメラがついてるのか わからなかったんだけど、あれって、こういう時に手軽に写真を撮れるようについてるものだったんだね」

瞬のために男子の誇りを捨てた氷河にも、その姿をデータとして残されることには少なからぬ抵抗があったようだった。
が、誇りも意地も面目も捨てた氷河には、既に捨てられるものがなかったのだろう。
何といっても、瞬がそれを望んでいるのだ。
声に少々自棄やけの響きが感じられないでもなかったが、結局 氷河は瞬に頷いた。

「好きにしろ」
「ありがとう。嬉しい。これ、待ち受け画面とかいうのにセットすれば、いつでも可愛い氷河が見れるようになるね!」
沙織は、その携帯電話を、名家のご令嬢たちとの外出先で不慮のトラブルに見舞われた際の連絡手段として瞬に持たせたのだろうが、瞬はそれの使い勝手がよくわからずにいたらしい。
四苦八苦しながら、赤いリボンをつけた氷河の姿を写真に収めると、瞬はその成果に満足したように満面の笑みを浮かべ、もう一度 氷河に、
「ありがとう。ごめんね」
と、小さな声で告げたのだった。






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