「俺が特殊なのか。俺なら、あわよくば瞬と近付きになりたいと考えて 迅速に抜け駆けに出るところなのに、誰一人 瞬に声すらかけてこないとは……」 「おまえが睨んでたからじゃねーの?」 「俺なら、俺に睨まれたくらいのことで臆したりはしないぞ。目の前に、世に二人といないほど綺麗で可愛くて大人しそうな子が隙だらけで立っているんだ。普通なら声をかけようとするだろう。奴等には 瞬の可憐さ可愛らしさがわからないのか? おかしいのは俺の目の方か?」 決して独身の30男や40男たちが瞬に群がる事態を望んでいるわけではない。 そんなことを望んでいるわけではないのだが、あまりに予想外の この事態に、氷河は混乱さえ覚え始めていた。 婚活講座の終了を沙織に報告に行った瞬との合流場所にした、グラード財団本部ビル最上階にあるティーラウンジ。 社員たちに遠慮してラウンジの最も奥まったところにあるテーブルの席に着くと、氷河は そこで自分の目の心配を始めてしまった。 キツネにつままれたような顔をしている白鳥座の聖闘士に、星矢が軽く首をかしげる。 独身男たちが瞬に群がる事態にならなかったことを喜びもせず、その事態を不思議がっている氷河の方が、独身男たちの分別のある態度より はるかに、星矢には奇妙なことに思えたのだった。 「そんなことはないだろ。瞬が絶世の美少女なのは、俺も認めるぜ? 要するに、おっさんたちは、おまえと違って分別を備えているってだけのことだろ」 「うむ。おまえの目がまともなことは俺も保証する。あの独身男たちの半分は40に手が届いているんだろう? 40といえば不惑。四十にして惑わず、の歳だ。いくら綺麗でも、親子といっていいほど歳の離れた子供に手を出そうなんてことが考えられなくなる歳なんじゃないか?」 紫龍も、星矢同様、おかしいのは氷河の目ではなく、平穏無事に婚活講座が終了したことを喜べずにいる氷河のアタマの方だと考えているようだった。 「しかし、瞬は――」 「しかし、世の中には あんなに綺麗で可愛い子もいるもんなんだな」 『しかし、瞬は人に分別を忘れさせるほど可愛い』と言おうとした氷河の言葉を先取りするように、どこぞのおっさんの声がフロアに響いてくる。 ここはグラード財団本部ビル内にあるグラード・フードサービスが経営する社員・来訪者用のティーラウンジ。 そこに、瞬の婚活講座を受講した男たちがいることは、全く当然、至極自然なことである。 それが 退社前の一服なのか、残業前の一服なのかは氷河たちには察しようもなかったが、グラード財団本部ビル30階の大会議室30Aで見掛けた7、8人の男たちが、氷河たちが陣取ったテーブルから5つほど離れたところにあるテーブルで、コーヒーをすすりながら、彼等が受けた講座(講師)の総評にいそしんでいた。 「どう見ても、まだ10代だったが、今時 あれだけ可愛い子だったら、やはり彼氏がいるんだろうか」 「いるわけないだろう。あの近寄り難い雰囲気! まるで隙がなかったぞ。どんなに可愛い顔をしてても、あれじゃあ男は近付けない」 「厳しい躾を受けてきた お硬い良家のお嬢様って感じだったな。総帥と同じ苗字を名乗ってたから、総帥の親戚か何かかもしれない。もう少しガードが緩かったら、一生分の勇気と根性を総動員して、一世一代の賭けに出てみるところなんだが……」 瞬は、彼等にすっかり少女と思われているようだった。 瞬も自分は男だと自己紹介をしなかったし、それは ある意味では瞬の自業自得といえる事態だったろう。 独身男たちの おおむね誤解から成る総評に、星矢は含み笑いを洩らすことになったのである。 そして、独身男たちの誤解から成る総評は、氷河の内に新たな疑念を生むことになった。 「瞬に隙がないとはどういうことだ?」 「そりゃ、隙なんかあるはずないだろ。瞬は聖闘士なんだぜ」 いったいおまえは何に引っかかっているのかと言いたげな目を、星矢が氷河に向けてくる。 「いや、俺が言っているのは そういう隙じゃなく――」 氷河が今 問題にしている“隙”は、そういう隙ではなかった。 独身男たちが話している“隙”も、そういう“隙”ではないだろうと思う。 戦場での瞬が鉄壁の防御を誇る聖闘士だということは、氷河も知っていた。 だが、戦場でないところでは、瞬は隙だらけの人間だった。 氷河の目には そう映っていた。 見るからに気弱で、大人しげで、人に逆らうことなど考えたこともなさそうな、触れなば落ちん花の風情。 瞬に隙がないというのなら、この地上の人間の誰にも隙などあるはずがない――というのが、氷河の認識だったのである。 世間一般の見方は、氷河のそれとは全く違っているようだったが。 「あの護身術講座、実は婚活講座だという噂があるぞ」 「彼女を落とせたら、幹部への出世コースにでも乗れるのか」 「無理無理。あの子は隙がなさすぎる」 「あれなら、IS企画部の きついアラフォー独身女部長の方がよほど隙があるな」 「確かに」 繰り返される『(瞬に)隙がない』発言に、氷河は本気で自分の感性と判断力を疑い始めていた。 自分以外の人間と自分の感じ方の この乖離。 その乖離の事実、乖離の原因が、氷河は心底から理解できなかったのである。 「氷河、どうしたの? そんな仏頂面して」 突然 独身男たちの声がティーラウンジから消えてしまったのは、彼等の噂の主が そのフロアに現われたからのようだった。 ティーラウンジが自分のせいで静かになったことに気付いた様子もなく、瞬が、眉をしかめている仲間に笑いながら尋ねてくる。 たった今も、瞬のその様子は、氷河の目には隙だらけに見えていた。 いかにも声をかけてくれと誘っているような、不思議に心細げに見える表情。 やわらかい物腰、声――男だったら誰でも その気になり、淡い期待を抱くだろうと、氷河は思う――感じる。 しかし、他の人間には、この瞬が、全く隙がない人間であるように見えているらしい。 まるで訳がわからず、だが、直接 瞬に尋ねるわけにもいかず、氷河は無言で首を横に振るしかなかったのである。 |