城戸邸の庭は、今は 雪柳の花が最盛期を迎えていた。 瞬の身長と同じくらいの高さにまで育った雪柳の花が、文字通り雪が降るような白色で 城戸邸の庭を覆い尽くしている。 雪のような花を見詰めている瞬の横顔は、優しい印象が勝っていたが、氷河は、確かに そのどこにも隙らしい隙を見い出すことはできなかった。 今 突然、敵の奇襲を受けても、瞬は余裕で撃退してみせてくれるだろうことが、氷河にはわかった。 瞬の優しい横顔は、そういう横顔だった。 「瞬」 それが――全く隙のない瞬の横顔が――自分の声ひとつで無防備な子供のそれに変わる瞬間を、その様子を、その時 確かに氷河は自分の目で確認できたのである。 「あ、氷河……!」 花盛りの庭に仲間の姿を認めた瞬が、雪のような花の中を嬉しそうに駆けてくる。 声をかけて。 もっと見詰めて。 いっそ抱きしめて――瞬の周りの空気はそう言って、氷河を誘っていた。 それが自分だけのものだったことを、氷河はこれまで知らなかったのである。 本当に知らなかった。 瞬は誰にでもこういう空気を感じさせているのだと、瞬は誰にも敵意や緊張感を感じさせない人間なのだと、氷河は思い込んでいたのだ。 「氷河も雪柳の花を見にきたの? ほんとに雪みたいで綺麗でしょう?」 嬉しそうに そう言う瞬は、氷河の目には、人を疑うことを知らない幼稚園児並みに無防備に見えた。 あまりに無防備すぎて、少し躊躇を覚えるほど。 にもかかわらず、氷河が瞬に、 「おまえは俺が好きなのか」 と、これまで尋ねずにいられたことが不思議にも思えることを尋ねることができたのは、ひとえに彼の女神と仲間たちの後押し(のようなもの)があったからだった。 今、『やはり告白できなかった』と言って彼等の許に戻っていったなら、彼等は白鳥座の聖闘士に 情け容赦なく“勇気と度胸のない男”の烙印を押してくれることがわかっていたから。 強引なまでに指導力のある上司や、冷徹に仲間を鞭打ってくれる同僚というものは、実に有難いものである。 白い雪の中で、その頬を微かに薄桃色に染める瞬を見詰めながら、氷河は心からそう思った。 「え……? あ……あの……僕……」 氷河には、何としても今 絶対に言わなければならなかった その言葉が、瞬には突然すぎるものだったらしい。 戸惑ったように瞬きを繰り返し、落ち着きなく視線をあちこちに飛ばしてみせる瞬は、とても鉄壁の防御力を誇るアンドロメダ座の聖闘士には見えなかった。 『おまえは俺を好きだから、そんなに隙だらけなのか』と瞬に尋ねることに、おそらく意味はない。 瞬は無意識のうちに、そうしてしまっている――そうなってしまっているのだ。 氷河が今 瞬に告げるべきなのは、瞬の隙の理由を確かめる言葉ではなく、瞬から与えられている隙を 有難く押し頂く言葉だった。 「俺はおまえが好きなんだ」 氷河の告白に、瞬が驚いたように瞳を見開く。 その驚きは、どう見ても9割9分9厘までが“嬉しさ”でできているものだった。 僅かに瞼を伏せ、はにかむように笑う瞬の その様は、やはり 鉄壁の防御力を誇るアンドロメダ座の聖闘士のそれには見えない。 抱きしめられることも、唇を奪われることも、それ以上のこともすぐに許してくれるのではないかと思えるほど――鉄壁の防御力を誇るアンドロメダ座の聖闘士は、氷河の前で隙だらけだった。 氷河は、今になってやっと、自分が自分の恋を瞬に告白できずにいた訳がわかったのである。 瞬は誰にでもこうなのだと思い込んでいたから、瞬は誰にでも隙だらけで、誰にでもすべてを優しく許してしまうのだと思っていたから、氷河は最初の、そして決定的な一歩を踏み出すことができずにいたのだ。 すなわち、瞬は誰をも同程度に好きでいるというのだという誤解のせいで。 言ってみれば汎愛主義者にして平等主義者の瞬を 独占することは不可能であり、また許されることではないだろう――と、氷河は一人で決めつけていた。 氷河は、瞬に隙ができる理由と理屈はわかっていなかったが、瞬が その身に備えている隙が どういう効果効能を持つものであるのかということを感じ取ることはできていたものらしかった。 氷河はただ、瞬の備えている隙と その隙の持つ効果効能が自分専用のものだということにだけは気付いていなかったのだ。 「やだ、氷河ってば、急に何を言い出したの」 前触れもない唐突な告白に 嬉しそうに そわそわしだした瞬は、 「好きなんだ」 氷河がその言葉を もう一度繰り返すと、今度はその瞳を涙で潤ませ始めてしまった。 潤んだ瞳で、瞬が、突然の告白に及んだ男を切なげに見あげてくる。 抱きしめられることも、唇を奪われることも、それ以上のこともすぐに許してくれそうな瞬は、 実際、氷河に抱きしめられても、抗う素振りひとつ見せなかった。 やはり、瞬の隙は、瞬が好きな相手のためだけに作られたものだったらしい。 「おまえは?」 氷河が尋ねると、瞬は、氷河の胸の中で 雪の花が風に揺れるように小さく揺れて、手折られる時を待つ花そのものに変わっていった。 Fin.
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